自分が勝ったときも相手への尊敬を失わない

その後の活躍ぶりは、一つ一つ書き上げるにはあまりにも大変すぎるめざましいものです。

中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)
中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)

対局後に感想を聞かれると途端に厳しい勝負師から、ちょっとはにかみ気味の青年になって、考えながらていねいに答える時の控えめの笑顔がすてきです。大谷君のはじけるような笑顔も藤井君のはにかみながらの笑顔も、自分の好きなことに打ち込んで思い切り生きている人のそれであり、心を打ちます。

藤井聡太棋士は、「子どもの頃には谷川浩司さん、羽生善治さんなどに憧れていたけれど、今は憧れるのでなく、自分を見つめ、自分を磨くことが大事と思っている」と話していました。

相手を決めての競争という意識はないのでしょう。自分がヘマをするのは口惜しいけれど、相手に対しては自分が勝った時でも尊敬の気持ちを失っていない様子が爽やかで心和みます。

ゆっくり歩くことが許されない時代の大人の役割

いつの頃からか、厳しい競争社会になりました。「新自由主義」と称して、経済活動を中心に社会を民間での競争に任せると、より効率のよい社会になり活性化するという考え方が強くなったのです。皆を仲間と捉え、皆が豊かで幸せな生活を営めるようにしようという考え方を否定し、競争によって成果を高めようとしたのです。

機械であれば、競争に勝とうとして効率のよいものをつくっていくという選択があって然るべきです。でも人間は機械ではありません。お互いを思いやりながらの助け合いが生きることを支えているのです。今の競争社会は生きものである人間を忘れているように思えて仕方がありません。

大谷翔平、藤井聡太という二人の若者は、図抜けた才能を持ち、目立った活躍をしていますが、私の身の周りにも、同じように競争で人を蹴落とすことを好まず、自分を見つめながら懸命に勉強やスポーツや仕事を楽しんでいる若者がたくさんいます。けれども今の社会は、とにかく短時間での成果、しかも数字で見えるような成果をあげることを求めます。若い人たちが思いきり楽しみながら力を発揮できる環境をつくっていくのが大人の役割ですね。