忘れることができないほどの苦労
50年以上も前のことですが、今でも忘れることができないほどの苦労でした。でも、どうにか乗り越えることができ、自信がつきました。
その後、転職した別の病院でも、併設された看護学校で講師の仕事をしたり、いろいろな団体から講演を頼まれたりもしました。あの経験があったから、人前で話すことも慣れて、新しい仕事に挑戦できました。
「若いときの苦労は買ってでもせよ」と言いますが、人は苦労を乗り越えて、人間性が培われていくのだなと思います。私にとって苦労とは、人間性を作り上げる薬のようなもの。そう心がけるようになりました。
経験したことのない仕事の苦労、責任者としての苦労、介護や家庭と仕事の両立の苦労、人間関係の苦労、お金がない苦労など、今までたくさんの苦労に突き当たりました。
何にもなくてのんびり過ごしていた時期はほとんどなかったので、他の人よりも苦労が多い人生だったのかもしれません。
でも、いろいろな苦労があったからこそ、自分なりに考えて、解決しようと努力したことは、私を成長させてくれました。
いろいろな経験をさせてもらったので、年をとるにつれて何事も「どんとこい」という気持ちになってきました。今の職場でも、みんなが「困ったな」と言っていても、私は小さいことで動揺しなくなりました。そうクヨクヨせんと、解決できる知恵がついたような気がします。
経験してきたことが、肥料になっているんでしょうか。年いって、ゆったり構えることができるようになったのは、いいことですね。
1924(大正13)年、三重県生まれ。地元の女学校を卒業し、赤十字の救護看護婦養成所へ進む。1943年、19歳のとき、海軍に療養所として接収された湯河原の旅館に、看護要員として召集される。終戦後、地元に戻り結婚。長男・次男を出産。中部電力津支店の保健婦として勤務。その後、精神科の県立病院で副総婦長を約20年。最後の1年は総婦長に。定年退職後、訪問看護や介護老人保健施設、グループホームなどの立ち上げにも関わった。75歳のとき、三重県最高年齢でケアマネジャー試験に合格。88歳のとき、サービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」に看護師として勤務。現在も週1~2回の勤務を続ける。2018年6、75歳以上の医療関係者(当時)に贈られる第4回「山上の光賞」を受賞。