10代で看護師になった池田きぬさんは、80年間看護師として働き続けてきた。責任者としての苦労、家庭と仕事の両立の苦労、人間関係の苦労、お金がない苦労とさまざまな苦労をしてきた池田さんが、50年も前なのに忘れられないと語る苦労とは――。

※本稿は、池田きぬ『死ぬまで、働く。』(すばる舎)の一部を再編集したものです。

「一生涯を貫ぬく仕事」を持てた、ありがたさ

59歳のとき、総婦長になった病院で、福澤心訓というものが大きな額に入れて飾ってありました。毎週月曜日の朝礼のとき、この7項目をみんなで唱和していました。ずっと昔、雑誌で、俳優さんが家族みんなで読んでいるという記事を目にして、「いいな」と心に残っていました。

現在も一人暮らしを続けながら、週に1度のペースで看護師の仕事をしている。
撮影=林ひろし
現在も一人暮らしを続けながら、週に1度のペースで看護師の仕事をしている。

だから、就職した病院で飾られているのを見つけたときは、うれしくなりました。その後、新人教育など、研修の場でも使わせてもらいました(編集部注:実際は福澤諭吉が書いたものではなく、作者は不明なようだが、人生の教訓として広く知られている)。

「世の中で一番楽しく立派な事は
一生涯を貫ぬく仕事を持つと云う事です」

なかでも、この1文は一番印象に残っていたものです。私は、看護師しかしてこなかったけれど、それで「よろしかったんかな」と思います。

今でも、この心訓を居間の壁に貼って、時々眺めています。自分が日々、こんなふうに過ごせているかなと、振り返るようにしています。

看護師をしているひ孫と、就職したばかりのひ孫にも、「社会人として知っておいたほうがいい7項目があるよ」と教えておきました。

取り入れるかどうかは本人たちの自由ですが、知る機会になればいいのかなと思います。

30代後半から80代前半まで責任者を務める

30代後半で転職した精神科の病院で、管理の仕事についてから、80代前半までずっと責任者を任されてきました。直接、患者さんに看護をするよりも、スタッフの人事や教育、病棟の問題解決、業務改革などに尽力してきました。

池田きぬさんの年表
池田きぬ『死ぬまで、働く。』(すばる舎)より。

今は一看護師として、肩の力を抜いて楽しく働かせてもらっています。若い頃に現場のスタッフを経験した後、みんなをまとめる責任者になり、そして、また現場のスタッフに戻りました。

でも、どんな立場になっても、大切にしてきたのは、「苦しんでいる患者さんが少しでもラクになるように、何がしてあげられるか」です。看護の質の向上を常に考えてきましたが、それは1人ではできません。いろいろな問題点を周囲のスタッフと話し合いながら、解決してきました。

今、職場で問題になっているのは、入居者さんの便秘です。年を取るとどうしても便秘になるので、スムーズな排便を促すために何がしてあげられるのか、看護と介護のスタッフが連携して取り組んでいます。

病気ではないけれど、老人の施設なので、体調管理は大切な仕事です。経過を観察し、必要なら主治医とも連携できるようになっています。

「この人、最近便が出ていない」と介護スタッフから報告があると、看護師が記録を確認して、必要なら薬を飲ませます。オムツ交換は介護スタッフの仕事なので、お互いに協力してやっています。