同じことの繰り返しで一日が終わってしまう。そんな虚しさを払しょくする方法はあるのでしょうか。両足院・副住職の伊藤東凌さんは「これからも退屈がつづきそうだ……とメンタルダウンしている人に、カンフル剤になる自分への質問があります」といいます――。

繰り返しこそが安定を生む

長引くコロナ禍で、毎日同じことの繰り返しに虚しさを覚えている人も多いようです。実はお寺こそ、同じことの繰り返し。しかし目線を変えると、その繰り返しが、安定した生活を生んでいるとも言えます。

両足院副住職 伊藤東凌さん
撮影=Hiroshi Homma
両足院副住職 伊藤東凌さん

目線を変えるポイントは、カレンダーにあります。たとえば月曜日の朝は瞑想をする、火曜日の昼はお茶をていねいに入れて飲む、水曜日と金曜日の夕方は筋トレをする、といったように、曜日で自分なりのルールを決めるのです。

日付でもよいでしょう。5がつく日は読書をする、10日と20日は念入りに掃除をする……。ちなみにお坊さんは、4と9のつく日は、髪の毛を剃って、おふろに入って、うどんを食べる、1、4、6、9のつく日は、托鉢といって、街の中を歩きつづける、毎月1日と15日には特別なお経の儀式を行う、といった習慣があります。

同じことの繰り返しでつまらないと思うような日々も、実は繰り返すからこそ、ちょっとした誤差に気づくことができる。気づきが深まっていきます。もし何も繰り返さず、いろいろなことをバラバラにやっていたら、いったい何がよかったのか悪かったのか、さっぱりわかりません。

100段階評価を付けられるほど、小さな変化に気づくことが大切

たとえば、1、4、6、9の托鉢なら、1日の托鉢はお辞儀の間合いがゆっくり保てなかったから、2日、3日は気持ちを整理して、4日に挑もう、あるいは1日に行ったお経を唱えるのも声の出し方がよくなかったから、15日はこう変えようと、次に課題を持ち込めるようになります。

両足院
撮影=Hiroshi Homma

周りから見たらわからないディテールの違いも、つづけることで自分なりに気づくことができるのです。最初は自分に対して3段階でつけていた点数も、いつしか100段階ぐらいでつけられるようになります。これくらい細かく見ていけば、昨日より成長した自分を見つけることができるのです。

私たち僧侶が目指すところは感動です。お辞儀で感動、お経で感動、歩く姿で感動……、相当研ぎ済まさないと感動は絶対に生まれません。ビジネスパーソンの方々も感動を目指して仕事をしていると、退屈という感覚はなくなるのではないでしょうか。