営業をやりたくて転職

——競争社会のアメリカで、もっとも必要だと感じた資質は何でしょう?

【岡島】コミュニケーション力です。アメリカでのキャリア最後の16年はメリルリンチでウェルスマネジメントをやっていたのですが、これは富裕層の方の資産運用なんです。500万預けてこれを運用してっていうのではなく、全財産を預けてもらう。だからこそ、私自身を信頼してもらわないといけない。そのためにまずお客様の話を聞くんです。そこから提案をしていくので、コミュニケーション能力は本当に大事ですね。

——当時の情勢を考えると女性であることが障害になることはなかったのでしょうか?

【岡島】確かに難しいところはありました。ケミカルバンク時代、営業職に興味を持ったんです。ですが当時はまだ女性の担当者には来てほしくないという時代でしたから、難しかった。ならば転職をしようと営業ができる証券会社を選びました。大手には優秀な男性がどんどん入って来るので私は目立たないんです。それでは勝負できない。あえて準大手に絞ったところ、これが大当たり(笑)! 英語ができて、アナリストのバックグラウンドがあって営業職希望というのが効いたのでしょう。それは営業面でも効果があって、通常1カ月はかかるアポイントも、女性の営業が一人もいない時代ですから、物珍しさもあって次の日には会ってくれることもありました。私にとっては女性であることはハードルではなくて、むしろ強力なツールでした。

——この判断が効いてたというのを実感したことは?

【岡島】これは最適だったというのがあります(笑)。私がシンガポールに転勤した頃、1989年の終わり頃をピークに日本株がどんどん下がっていったんです。90年の11月頃に、「もう日本株はここから10年ダメだ……」って思って結婚したんです。バブルが弾けるちょっと前ですが、私はすでに「弾けた」と感じました。その判断は正しかった。もし株が順調に上がってたら結婚はもっと遅れていたかもしれない(笑)。結構戦略的に仕事を決めてきた気がします。

女子サッカーを投資の1つとして見てほしい

——その視点を持った上でWEリーグ初代チェアに就任しました。30年ぶりの日本女子サッカー界はどう映りましたか?

【岡島】うらやましくて仕方なかったですね(笑)。私たちはどんなに寒くても小さな電気ストーブ一個を囲んで暖を取り、食事はおいしくない……。という環境でした。今は日本サッカー協会が所有するJFA夢フィールドや清水ナショナルトレーニングセンターなど天然芝の良いグランドがあります。あんなピッチで練習できるなんてうらやましいです。

——Women Empowermentの面では発展途上国の日本でこのネーミングを掲げる——時代は変わりました?

【岡島】変わりましたね。ジェンダー平等という理念に共感してパートナーになってくださった企業がたくさんあります。例えば旭化成ホームプロダクツは女性だけに家事をさせるのではないやり方を考えましょうというスタイルです。そういう点で今までスポーツのサポートはしていなかったのに、初めてWEリーグをサポートしていただくことになりました。Yogiboも同様です。女性目線のCMを打ったり、女性の活躍を支えたいという思いでタイトルパートナーになっていただいた。メディキュットは女性のお客様がターゲットで足を元気にしていくという目線の会社です。私は女子サッカーを投資の一つとして見てほしい。コロナ禍で大変な時期ではありますが、すごくマッチしていると思います。