チッという舌打ちの音

電車は、動きません。娘は、泣き止みません。「泣きたいのはこっちだよ(涙)」と思いながら、娘をあやします。でも、娘はエキサイトする一方。実際にはほんの数分でしたが、この時の自分には永遠に感じられました。漫画・ドラゴンボールの「精神と時の部屋」が、顕現しようとは……(精神と時の部屋は、外の世界と時間の流れが異なる異空間。部屋の中の1日は、外の世界の4分に該当する)‼

イラストレーション=ハナウタ
イラストレーション=ハナウタ

あまりの精神疲労に髪が全部真っ白になるのではないかと思い始めた頃、電車が動き始めました。「よかった! 次の駅で降りて娘を落ち着かせよう……」と思った矢先のこと。「チッ」という舌打ちが背面から聞こえました。振り返ると、ビジネススーツを着た中年男性がこっちを睨めつけていました。目が合うと、もう一度「チッ」と舌打ちをしました。

普段なら、笑顔でスルーする案件です(心の中で悪態をつきながら)。でもこの時は、娘の連日の激しい夜泣きによる寝不足で、精神的にとても参っていました。そんな、ただでさえ虫の息だった心に、この舌打ちが見事にトドメを刺してくれました。まさに、泣きっ面に蜂。じわっとこみあげてきた涙を、必死に堪えました。この場に妻がいなくて、本当によかった。こんなの、つらすぎる。どうしてこんな目にあわないといけないんだろう。

母親が味わう理不尽の一端を味わった

子どもと一緒に、電車に乗っただけなのに。

私は、人様に舌打ちされるようなことをしているのだろうか。

暗澹たる気持ちで次の駅で下車し(目的地までまだ遠い)、いったん娘を落ち着かせました。泣き止みはしたけど、まだ機嫌はよくなさそう。そうこうしているうちに、次の電車が来ましたが、また娘が泣き叫ぶかもしれないと思うと、足がすくんでしまいます。迷っているうちに、電車は行ってしまいました。

ガタンゴトンと過ぎ去る車両を呆然と見つめながら、ふと、社会学者の上野千鶴子氏の言葉を思い出しました。

「女性は、出産・育児をしはじめた途端に、弱者になる」

そうか。私は、そうとは知らず弱者になっていたんだ。これまでママたちが味わってきた理不尽のほんの一部を体験したのか。うん。これは、控えめに言って、最低の気分だ。