身体を健康にすれば、心も健康になる

たしかに世の中にはいろいろな問題があります。人生はけっして楽ではありません。

小川仁志『幸福論3.0 価値観衝突時代の生き方を考える』(方丈社)
小川仁志『幸福論3.0 価値観衝突時代の生き方を考える』(方丈社)

ただ、そんな中でもポジティブに生きられる人とそうでない人がいるのはなぜでしょうか? 同じすさんだ世界を見ても、よしやってやると思える人と、もうだめだと思う人がいるのはなぜでしょうか?

それは自分の側が違うからです。自分の身体が違うからです。ポジティブになるためには意識を変える必要がある。私たちはそう思いがちです。でも、それだけが唯一の方法ではないのかもしれません。もしかしたら、身体を変えるだけで、身体を少しでも健康な状態にもっていくだけで、ポジティブになれるのではないでしょうか。

それに、意識を変えるのは大変ですが、身体を変えるのは比較的簡単です。しっかりと睡眠を取って、規則正しい生活をし、きちんと栄養を摂り、適度な運動をする。それだけのことです。誰しも何らかの病気を抱えていたり、突然病気にかかったりします。それは仕方がないことです。だからといって、何もできないことはないはずです。

ほんの少しでも身体をいたわってやることができれば、あなたにとって世界はその分、素敵なものになるに違いありません。

「健康第一」ではなく、本当は「身体第一」なのです。

「会社を休む」は悪いことなのか

昔日本が右肩上がりの成長をしているころは、皆必死に働いていました。それこそ土日返上で。では、成熟社会を迎えつつある今はどうか? 2019年に行われた19カ国を対象とした有給休暇の取得率に関する調査によると、日本は最下位でした。つまり、相変わらず土日返上で必死に働いているのです。

コロナ禍もあって働き方改革が多少加速し、今は少しましになっているかもしれません。でも、ついこの前まで過労死で企業が訴えられるケースは後を絶たず、過酷な労働を強いるブラック企業という言葉が頻繁にメディアに登場していました。最近はテレワークでオンとオフの境目がなくなり、逆に過重労働になっているという話も聞きます。

結局、経済が縮小しようが、国家が成熟しようが、この国の労働のあり方はあまり変わらないということです。その背景には、日本人全体が共有する集団的な強迫観念が横たわっているように思えてなりません。いわば「休むことに対する罪の意識」です。

日本の組織では、休みを取るときに「お休みをいただきます」という表現を使う傾向がありますよね。「休みます」ではないのです。本当は労働者としての自分の権利ですから、「休みます」でいいのですが。

ところがなぜか、「お休みをいただきます」とへりくだる必要があります。そういわないといけない雰囲気があるのです。それは、皆が休むことを罪だと思っているからです。

まずその認識を改める必要があるでしょう。