いずれも「休み=心の平穏」であることは変わらない

他方、ストア派のほうは、ゼノンによって創設され、ローマ時代のマルクス・アウレリウスに至るまで長く存続しました。彼らの思想の特徴は、世間的な価値を蔑視し、自然に従って生きることをすすめる点にあります。ストア派にとって、究極の価値は大宇宙の自然に従って生きることだ、というのです。

したがって、情念や欲情に支配されないで超然として生きる禁欲主義を理想としました。彼らが理想とする心の状態アパテイアが、「パトス(情念)がない」という意味であるのもよく分かります。ちなみに、スポーツなどでよく使うストイックという言葉は、このストア派に由来するものです。

このように、エピクロス派のいうアタラクシアもストア派のいうアパテイアも、いずれも心の平穏を意味する言葉なのです。先ほど、楽しむ休日もくつろぐ休日も同じだといったのは、いずれも心を落ち着けることが目的だからということです。

時に立ち止まる。それは人間の運命

人間にとって精神の休息が不可欠だということは、これでよく分かっていただけたかと思います。もっというならば、精神の休息の可能性こそが重要なのです。あと少し頑張れば、確実に休息が得られるという気持ちが、私たちを楽にします。いわば休日はユートピアなのです。かつてトマス・モアが提案したあのユートピアです。

モアは、古代ギリシア語の「どこにもない」という語と「場所」を表す語をくっつけて、ユートピアという言葉を生み出しました。ですから、ユートピアとは現実には存在しない理想の場所なのです。でも、そのおかげで、人は理想を求めて生きることができるのです。

休日、リゾートに行こうとする人が多いのは、ユートピアに憧れているからではないでしょうか。本当はリゾートに行っても、人が多かったり、子どもがぐずったりして、疲れることが多いのですが、少なくとも働いているときは、そこに理想を見ます。そして頑張るのです。

普段の一週間も同じでしょう。理想の週末を夢見て頑張るのです。休日があると思えるのとそうでないのとは大違いなのです。こうした気持ちで頑張り続けるためには、「休める詐欺」ではいけません。本当に休まないと、もう次回から理想を信じられなくなってしまいますから。

そして実際に休んだときには、遊び倒してもくつろいでもいいのですが、心のリセットだけは忘れないようにしていただきたいと思います。精神を落ち着けるというのは、仕事モードの心をリセットして、休日明けに落ち着いて事に当たれるようにするということです。走り続けることを運命づけられた人間には、時に立ち止まることが求められるのです。そうでないと息切れしてしまいますから。

小川 仁志(おがわ・ひとし)
山口大学国際総合科学部教授

京都府生まれ。京都大学法学部卒業。名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。伊藤忠商事勤務、フリーターの経歴を持つ。市民のための「哲学カフェ」を主宰。