日本では、子育てをしながら第一線で活躍する女性アスリートは非常に少ない。昨年2020年にその一人に加わったのが、2011年のドイツワールドカップで史上初の優勝を果たしたなでしこジャパンのDF(ディフェンダー)岩清水梓選手だ。妊娠がわかり、一時は引退を考えたという岩清水選手が、出産後もプレーを続けることを決めたのはなぜなのか。スポーツライターの元川悦子さんがリポートする――。
2011のドイツワールドカップで優勝したなでしこジャパン。2011年7月17日、ドイツ・フランクフルト
写真=dpa/時事通信フォト
2011年のドイツワールドカップで優勝したなでしこジャパン。前列左から2人目が岩清水選手。2011年7月17日、ドイツ・フランクフルト

ドイツW杯、ファウルで決定的なピンチを防いだ

東日本大震災で日本中が打ちひしがれていた10年前の2011年。傷ついた人々に勇気と希望を与えてくれたのが、なでしこジャパン(サッカー女子日本代表)だった。

同年6~7月にかけてドイツで行われた2011年女子ワールドカップ(W杯)で、日本はドイツ、スウェーデン、アメリカといった強敵を次々と撃破し、史上初の世界チャンピオンに輝いたのだ。

この大会で守備の要としてフル稼働したのが、日テレ・東京ヴェルディベレーザ所属の岩清水梓選手だった。

岩手県岩手郡滝沢村(現滝沢市)で1986年10月に生まれ、1歳で神奈川県相模原市に移り住んだ彼女は、小学校1年生の時に男子チームでサッカーを始めた。そして中学生になると同時に入った日テレ・東京ヴェルディベレーザの育成組織・メニーナで鍛えられ、2006年からは日の丸を背負うようになった。2007年女子W杯(中国)、2008年北京五輪など、世界舞台で着実に実績を重ね、ドイツの大舞台で大活躍した。

ドイツのW杯では、全6試合にスタメン出場。決勝・アメリカ戦では、延長戦終了間際に相手エースを倒して一発退場処分を受けたが、このプレーによって日本は決定的なピンチを阻止した。

「『どうやってでも、絶対に相手を止めないといけない』と思いました」

彼女の鬼気迫る思いを澤穂希選手、宮間あや選手らチームメートも受け止め、直後のフリーキックを全員で守り切りPK戦へと持ち込んだ。PK戦でも「イワシのために」と全員が闘志を燃やし、最後のキッカー・熊谷紗希選手(フランスの女子クラブチーム、オリンピック・リヨン所属)が決め切り、日本は過去に一度も勝てなかった宿敵を撃破。ついに頂点に立った。

この年の夏には国民栄誉賞も授与された、なでしこの勇敢な戦いは、多くの人々の脳裏に焼き付いたはずだ。