「しんどかった」産後の2カ月
コロナ禍の今は立ち合い出産が許されないケースも少なくないが、岩清水選手は緊急事態宣言前で何とか間に合った。
「入院してから出産するまで、旦那さんがずっとそばについて励ましてくれました。その存在は本当に心強かった。もし1人だったら、途中で投げ出してしまいたくなったかもしれないです」。さすがのW杯王者にとっても出産は別物。パートナーの協力の重要性を痛感したようだ。
とはいえ、生んですぐトレーニング復帰というわけにはいかなかった。産後2カ月間は子育てに集中することになる。全ての母親が感じることだろうが、新生児が2時間おきに目を覚ますこの時期は、戸惑うことばかり。サッカーで数々の修羅場をくぐってきた彼女も「一番しんどかった」と打ち明ける。
「息子が寝て、起きて、泣いて……を繰り返すので、自分のペースでは全く寝られません。それまでの自分は、アスリートとしてのコンディションを第一に考え、睡眠の質を追求したり、自分に必要な睡眠時間を取るように心掛けてきたので、寝られないことがここまでストレスになるとは思いませんでした。母親としても初心者ですから、泣くたびに何が必要なのか、どうしたらいいのかを考えますし、不安にもなる。最初の2カ月間はホントにいっぱいいっぱいでした」
サポートなしでは両立できない
その時も出産時同様、夫が支えてくれた。緊急事態宣言下で外に出て仕事をする必要がなくなったため、夫がほぼ在宅していたことが岩清水さんにとって大きな助けになった。
「旦那さんは子育てに協力的で、息子が泣いたらあやしてくれたり、おむつ交換も率先してやってくれました。お風呂も担当してくれて、むしろ私より手際がいいくらいでした。『自分の子供なんだから、男性が育児に参加するのは当たり前』という考えを持っていたのは心強かったですね。そこは『男は台所にも立たない』といった感じの自分の親世代とは全く価値観が違うなと感じました」
昨今の女性アスリートを見ると、女子バレーボールのキャプテン・荒木絵里香選手(トヨタ車体)や女子100mハードルで2021年夏の東京五輪を目指す寺田明日香選手のように、子育てと競技を両立させる例は少しずつだが増えている。荒木選手が実母の全面的なサポートを受けながらプレーに励み、寺田選手も夫と家事育児を分担しながら高みを目指すように、やはり周囲のサポートは不可欠だ。
岩清水選手が、出産直後の心身ともにギリギリだった状態を乗り越え、再びサッカー選手としてトップに挑んでいこうと思えたのも、夫の積極的なサポートがあったから。頼もしい援軍を得て、彼女は出産から3カ月後の2020年6月からトレーニングを再開することになった。
文=元川 悦子
1986年、岩手県生まれ。小学校1年からサッカーを始め、1999年に同クラブの育成組織・メニーナ入りし、2003年にベレーザに昇格。2006年に日本代表デビューし、2008年北京・2012年ロンドンの両五輪、2011年・2015の両女子W杯など世界舞台で活躍。国際Aマッチ122試合出場11ゴールという実績を誇る。日テレでは2021年からは背番号を22から33へ変更。ポジションはDF(ディフェンダー)