「サッカーは引退するつもりだった」

岩清水選手はその後、2012年ロンドン五輪銀メダル、2015年女子W杯(カナダ)準優勝という栄光を重ね、2017年以降は所属する日テレでのプレーに専念してきた。

そんな彼女が結婚・妊娠を電撃発表したのは2019年10月のこと。何の前触れもなかったため、関係者やファンは大いに驚かされたが、本人にとっては32歳の1人の女性として、ごくごく自然な選択だったという。

「旦那さんとは数年前から付き合っていましたし、結婚は予定通りのタイミングでした。選手としてチームのことを考えると、葛藤が全くなかったとは言えませんが、年齢的にも早く子供がほしかったので、妊娠できたのも嬉しかったです」

実は妊娠がわかった時点では、サッカー選手を引退するつもりでいたという。

「年齢的にも『もういいかな』と思ったし、子供を産んだら子育て中心の生活をするのは当然だと思っていたので。でも両親に伝えた時に『もう少しサッカーも頑張ってみたらいいんじゃないの』と言われて、ハッとしたんです。旦那さんにも相談すると『続けたいんならそうしたらいいよ』と言ってくれた。それで考えがガラリと変わって、出産後もプレーを続ける決心をしました」

ピッチに立つ、妊娠前の岩清水選手
写真提供=東京ヴェルディ
ピッチに立つ、妊娠前の岩清水選手。日テレでは日本女子サッカーリーグ(Lリーグ)通算287試合出場、21得点の記録を持つ

背中を押した、先輩の姿

前向きな決断を下せた背景として、子育てとサッカーを両立させていた先輩・宮本ともみさん(現U-19日本代表コーチ)の存在があった。2005年に出産した宮本さんは、翌年にリーグ戦に戻り、なでしこジャパンにも復帰。若かりし日の岩清水選手は彼女と共に2007年女子W杯(中国)に参戦している。

「宮本さんが日本代表活動を続けるに当たり、日本サッカー協会(JFA)がベビーシッターを雇って息子さんの面倒を見ていました。そうやって子育てとサッカーをしている姿を身近で見ていたので、私にとっては未知なる世界ではなかった。その前例も、自分を後押ししてくれたと思います」

海外で見た女性アスリートたちの姿にも影響を受けていた。

「海外遠征やW杯に行った時も、アメリカなどの代表選手には、子連れで試合に来ている人が何人もいました。『そういうのはいいなあ。いつか自分も子供と一緒にグランドに立てたらいい』という夢も描いていた。それを実現すべくチャレンジしようと決めました」

そうと決まれば、体力維持は欠かせない。岩清水選手は、妊娠中でも可能なトレーニングがないかを探し、取り組むようになった。幸いつわりがなく、食欲がなくなったり、寝込んだりすることもなかったため、思った以上に動けたという。

「最初は、荷重の少ないトレーニングから着手しました。妊娠初期の2019年夏くらいから徐々に始めて、少しずつ強度を上げていこうと考えていたんです」