しかし過去から現代に至るまで、人生論と結びつくような哲学はごく一部の潮流でしかありません。古代ギリシャの哲学者プラトンに始まる哲学の王道的なスタイルは、細かい話を抜きにすれば、自分や相手の議論の前提をたえず問い直すことで、あらためて問題を解明していくというものです。

たとえば、哲学者が幸福について議論する場合、「こうすれば幸福になれる」ということは言いません。そうではなく「私たちがイメージしている幸福は本当に幸福といえるのか?」というふうに、自明だと思われている事柄の前提に問いを差し向け、幸福という概念に新しい意味を吹き込むのが哲学のスタイルです。

認識とは何か、自由とは何か、倫理とは何か……。哲学は、私たちが何かを考えるときに、いちばん根本的に思えるような前提にすらも問いを差し向けます。そこが時代の転換点に哲学が求められる大きな理由でしょう。時代の転換点では、私たちが自明と思ってきた価値観や考え方の前提が大きくくずれはじめる。そういった時代では、くずれかかった前提をどういう形で問い直すかが決定的に重要な意味を持つのです。

10分でわかる、哲学の歴史

哲学を知るはじめの一歩。古代から20世紀後半まで、哲学的思考はどう変化してきたのだろうか。

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西洋哲学と東洋哲学はどう違うの?

西洋哲学の基本は、自分自身の足元を常に切りくずすような問いかけをする点にあります。前提をたえず問い直しながら議論を展開する。これはプラトンから続く大きな伝統です。一方、東洋哲学は、前提を問い直すというより、社会や事物の見方を洗練させ、知識をつくりあげていくことが基本。たとえば西洋では、近代以降は神にすら疑いを向けていきますが、東洋の仏教ではそういった議論は少なく、毘盧遮那仏びるしゃなぶつ阿弥陀仏あみだぶつなどさまざまな仏を信仰の対象にしていくのです。