※本稿は木村光希『だれかの記憶に生きていく』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。
忘れることのできない、ある夫婦の納棺
いまも忘れることができない、まだ駆け出しのころに担当させていただいた、あるご夫婦の納棺があります。交通事故で同時に亡くなられたそのご夫婦には、高校生の男の子がいました。ひとりっこの、3人家族でした。
言うまでもありませんが、お父さんとお母さん、どちらかを亡くすだけでもとてもつらいことです。それなのに、その少年は両親を同時に、しかも突然失ってしまった。彼の痛みや混乱がどれほどか、「駆け出し」ということを差し引いても想像できるものではありませんでした。
きっと朝、いつものように「いってきます」と言って玄関を出たのでしょう。思春期まっただ中ですから、ちょっとそっけなかったかもしれない。それを、後悔しているかもしれない。家に帰ったら夕食が用意されていて、それを食べながらなにげない会話を交わす、そんな「日常」が待っているはずだったのです。
ご夫婦だって、たったひとりの子どもであるこの少年の未来を信じ、またたのしみに描いていたことは間違いありません。その未来を見守れることを、応援できることを、疑っていなかったでしょう。
なにもできなかった無力感
きょうだいもおらず、ご親族も少ない様子でした。これからひとりでかなしみを受け止めなければならない17歳の彼に、なにかすこしでもケアにつながることばを……そう焦る自分がいました。
しかしその子は、もうほとんどコミュニケーションを取ることもできない状態。ただ声とも言えない声をあげて泣きつづけ、火葬場では立っていることもできなかった。故人さまとの思い出を振り返る、どころではないわけです。
その姿、かなしみ、残酷さを目の当たりにして、ぼくはなにもできませんでした。なにか伝えたいと思いつつも、余計なことを言ってしまったらどうしようと、かけることばが見つからない。
自分にできることなど、なにもない―――まるで腫れ物に触れるかのような気持ちと無力感を、いまでもはっきりと思い出せます。
当時は実力も経験も不足していた、いまだったらもっといろいろなかたちで彼のサポートができる、と思うのですが……あのいたたまれなさと後悔はぼくの胸に残りつづけています。