「ゲイ=オネエタレント」と思い込む人たち

当事者が周囲にいると感じづらいもう一つの理由は、非当事者側の認識にもあると考えられます。

今でこそ「ゲイ=オネエタレント」という認識は昔に比べてやや薄くなってきていますが、まだまだセクシュアルマイノリティというと、奇抜なファッションをしている、特殊な言葉遣いをする、「普通」の職場にはいない、と考えている人が一定数いるようです。日本労働組合総連合会の調査では、回答者の20%がLGBTのイメージについて「テレビに出たりする等、芸術やファッション、芸能等の分野で秀でている人びと」、16.5%が「一部の職業に偏っていて、普通の職場にはいない人びと」と答えています。

神谷悠一、松岡宗嗣『LGBTとハラスメント』(集英社新書)
神谷悠一、松岡宗嗣『LGBTとハラスメント』(集英社新書)

しかし、このようなイメージは、あくまでひと昔前から頻繁にメディアに取り上げられているセクシュアルマイノリティのイメージであって、セクシュアルマイノリティの一握りの人々のイメージに過ぎません(そのような人々が存在を可視化してきた側面もありますし、イメージを固定化させてきたという批判もあります)。

実際は、見た目からセクシュアルマイノリティだとわからない場合の方が多いといって良いでしょう。私(神谷)も、当事者団体である「LGBT法連合会」の事務局長として、LGBTに関する研修に伺った先で、「なんであなたはこの分野に興味を持ったの? ソッチ系(手の甲を反対の頰に当てながら)じゃないのに」と言われ、どこから突っ込もうかと内心頭を抱えたことがありました。

これは、非当事者側のイメージする「セクシュアルマイノリティ」像に、私が当てはまらなかったために起こったということなのでしょう(そもそもの前提から差別的であったということはありますが)。

以上、二つの理由から、当事者が周囲にいるとは感じづらい状況が、職場環境と人々の認識の両面から起こっています。しかし同時に、見えにくいけれども、当事者は職場で働いているわけであり、「うちの職場にLGBTはいない」と考えるのは早計です。むしろ、「うちの職場にLGBTは見えていない(けれどいると考えられるし、見えるようにならないのには理由があるのだ)」といった認識での言動を心がけるべきでしょう。

本人にカミングアウトを「強要」する人たち

最近の訴訟事例などで聞かれるのが、本人から職場環境の改善に関する申し出があったので、本人にカミングアウトをさせ、全員に説明してもらうようにした、というケースです。

他にも、「みんなにカミングアウトすべきだよ!」と、カミングアウトを上司から強く勧められるケースもあるようです。

しかし、セクシュアルマイノリティにとって、カミングアウトをするというのは、一世一代の大きな出来事となることがあります。それが一人ひとりに対するものではなく、訴訟事例であったような職場全員に対するものとなると、当事者への負担の大きさは想像を絶するほどと言っても過言ではないでしょう。私(神谷)も、考えるだけで目眩がしてしまいそうです。