※本稿は神谷悠一、松岡宗嗣『LGBTとハラスメント』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
「うちの職場にLGBTはいない」と思い込む人たち
最近、インターネットのモニター調査などで、LGBT等のセクシュアルマイノリティが回答者の8%だった、10%だったなどの結果が出て、報道を賑わすことがあります。一方、大阪市で実施された(無作為抽出の)調査では、「性的マイノリティ」が3.3%との結果が出ています(「決めたくない・決めていない」の回答と合わせると8.2%)。
調査対象や調査方法等によって結果はまちまちですが、いずれにせよ、社会には一定の割合で「セクシュアルマイノリティ」と呼ばれる人が存在していることは事実です。
にもかかわらずよく聞かれるのが、「うちの職場にはLGBTはいないから」という言葉です。「うちにはLGBTと呼ばれる人はいないので」を枕詞に、「LGBTについて考える必要はない」「LGBT施策は関係ない」、ひと昔前には、「日本にLGBTという人たちはいない。あれは外国の話だから関係ない」などと言われることもありました。
なぜ「いない」と思い込んでしまうのか
しかし前述の通り、どんなに少なく見積もったとしても、100人単位の学校や職場には、セクシュアルマイノリティが一定程度いるということが考えられます。
では、なぜ「LGBTが身近にいるという実感がなかなか湧かない」のでしょうか。なぜそのように思うのか、そう感じるのか、掘り下げて考えてみましょう。
理由は大きく2つ挙げられます。
一つは、セクシュアルマイノリティの多くがカミングアウトしていない/できない状況にあるからです。この状況はデータにおいても裏付けられています。厚生労働省の委託事業の調査によれば、「いまの職場の誰か1人にでも、自身が性的マイノリティであることを伝えているか」という設問に対して、伝えているという人は「レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル」で7.3%に過ぎません。「トランスジェンダー」でも15.8%となっています(トランスジェンダーは、男女別取り扱いや施設利用に関する課題から、カミングアウトをして差別や偏見を受けるとしても、カミングアウトせざるを得ない状況も考えられます。ただそれでも、8割以上がカミングアウトしていません)。
カミングアウトされやすい人と、されにくい人がいる
以上のようなデータの傾向などを踏まえると、仮に5%がセクシュアルマイノリティであったとしても、そのうち周囲に当事者であると明かしている人が一割だとすれば、単純計算で0.5%程度、200人に1人ということになります。
とはいえそれでも多くないか? と思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに、体感としてそのようなこともあり得るかもしれません。ただ、当事者は誰にでもカミングアウトするわけではありませんので、結果として、カミングアウトをされやすい人とされにくい人がいます。される人は何人にもされているが、されない人は全くされない。そのため、人によっては、体感で1000人に1人くらいしかセクシュアルマイノリティがいない、と感じられてもおかしくはありません。
「ゲイ=オネエタレント」と思い込む人たち
当事者が周囲にいると感じづらいもう一つの理由は、非当事者側の認識にもあると考えられます。
今でこそ「ゲイ=オネエタレント」という認識は昔に比べてやや薄くなってきていますが、まだまだセクシュアルマイノリティというと、奇抜なファッションをしている、特殊な言葉遣いをする、「普通」の職場にはいない、と考えている人が一定数いるようです。日本労働組合総連合会の調査では、回答者の20%がLGBTのイメージについて「テレビに出たりする等、芸術やファッション、芸能等の分野で秀でている人びと」、16.5%が「一部の職業に偏っていて、普通の職場にはいない人びと」と答えています。
しかし、このようなイメージは、あくまでひと昔前から頻繁にメディアに取り上げられているセクシュアルマイノリティのイメージであって、セクシュアルマイノリティの一握りの人々のイメージに過ぎません(そのような人々が存在を可視化してきた側面もありますし、イメージを固定化させてきたという批判もあります)。
実際は、見た目からセクシュアルマイノリティだとわからない場合の方が多いといって良いでしょう。私(神谷)も、当事者団体である「LGBT法連合会」の事務局長として、LGBTに関する研修に伺った先で、「なんであなたはこの分野に興味を持ったの? ソッチ系(手の甲を反対の頰に当てながら)じゃないのに」と言われ、どこから突っ込もうかと内心頭を抱えたことがありました。
これは、非当事者側のイメージする「セクシュアルマイノリティ」像に、私が当てはまらなかったために起こったということなのでしょう(そもそもの前提から差別的であったということはありますが)。
以上、二つの理由から、当事者が周囲にいるとは感じづらい状況が、職場環境と人々の認識の両面から起こっています。しかし同時に、見えにくいけれども、当事者は職場で働いているわけであり、「うちの職場にLGBTはいない」と考えるのは早計です。むしろ、「うちの職場にLGBTは見えていない(けれどいると考えられるし、見えるようにならないのには理由があるのだ)」といった認識での言動を心がけるべきでしょう。
本人にカミングアウトを「強要」する人たち
最近の訴訟事例などで聞かれるのが、本人から職場環境の改善に関する申し出があったので、本人にカミングアウトをさせ、全員に説明してもらうようにした、というケースです。
他にも、「みんなにカミングアウトすべきだよ!」と、カミングアウトを上司から強く勧められるケースもあるようです。
しかし、セクシュアルマイノリティにとって、カミングアウトをするというのは、一世一代の大きな出来事となることがあります。それが一人ひとりに対するものではなく、訴訟事例であったような職場全員に対するものとなると、当事者への負担の大きさは想像を絶するほどと言っても過言ではないでしょう。私(神谷)も、考えるだけで目眩がしてしまいそうです。
悪気はなくても強要はアウト
実際に、カミングアウトを全員の前で強要されたある方は、事前に何を話すべきかを考えに考え、その生い立ちから、自分の存在、なぜ会社に申し出るに至ったのかについてまでの壮大かつ長大な話をされたそうです。当事者にとってみても、どこからどこまで話していいものやら、それはもう、大変な様が窺えます。こうした心労ゆえか、全員の前でカミングアウトをしたのちに、精神的にまいってしまい、鬱を発症したとも聞きます。
ただ確かに、会社にとってみれば、突然のカミングアウトでどのように対応して良いのかがわからない、「性の多様性?」「LGBT?」「何をどこから対応すればいいの? まずは本人から説明してもらったらいいのではないか」ということだったのかもしれません。
とはいえ、当事者にとってみても、何をどこから説明して良いのか考えあぐねてしまう状況に陥るのは同じことです。むしろ、性のあり方は自分の存在と深く結び付いており、「自分」そのものを説明しなければならないのではないか、とすら考えてしまうわけです。
最近は、さまざまな書籍のほか、資料もインターネットで入手することができます。もちろん、インターネットの情報は玉石混淆で、残念ながら噓の情報も見られますが、役所などからの正確な情報発信も進んでいます。
加えて、2020年6月からパワーハラスメント防止対策として、会社が、性的指向や性自認に関するハラスメントに適切に対応する措置を講ずることが義務となりました。その際、性的指向や性自認を機微な個人情報として、プライバシー保護を講ずることも含まれています。つまり、カミングアウトを受けた際に、適切に対応することは、もはや会社としての法的な義務の範囲ともいえるのです。
とはいえ、職場環境への何がしかの対応を求められたからといって、カミングアウトを強要したり、安易に勧めることは訴訟リスクにつながるといって良いでしょう。カミングアウトはあくまでその当事者のタイミングで行われるべきものです。
カミングアウトを「させない」のもNG
他方で、カミングアウトをさせない、止めてしまうという対応も最近では耳にします。しかしこれも、カミングアウトの強要と同じように、問題のある対応といえます。
古くは米軍においても、このカミングアウトを禁止するなどの対応が、“Don't ask. Don't tell”と呼ばれ、問題視されていた時代もありました。実際日本において、自治体の中では既にカミングアウトを権利として保障し、カミングアウトを強要することはもちろん、カミングアウトをさせないことも、条例で禁止している自治体があります。
ここまで読み進められた読者のみなさんは条例で禁止だなんて何をそんな大げさな、とは思われないのではないでしょうか。制度で権利としてわざわざ位置付けられるほどに、重要な問題であるカミングアウト。その意味合いを適切に把握し、丁寧にこの問題に向き合ってもらえればと思います。