「環境」を国家の主軸に据えた「新しい経済社会」

私は今年10月に『危機の向こうの希望』を上梓しました。同書のサブタイトルは「『環境立国』の過去、現在、そして未来」としています。

「環境立国」というと、省エネ技術の開発とか、燃料電池車の普及、さらには大気中CO2の吸収技術など、もっぱら環境対策技術で国を立てていこうとしている考え方と狭く捉えられてしまうかもしれません。

しかし私の考える「環境立国」は、同書で明らかにしたように、「環境」を国家の主軸に据えた新しい経済社会を実現しようとする運動の総称であって、そこには「憲法改正」「経済や技術のグリーン化」「教育の改革」「市民(特に女性)の参加を制度的に保証する」など、きわめて広範な活動を含んだ「立国」なのです。若者や学生を含むさまざまな職種の人々に自主的、積極的な参加を求めて日本の国を再起しようとする一大運動を表そうとした意図が込められているのです。

自分たちで壊したものは、自分たちで元通りに戻す

かつて公害対策技術先進国だった日本は、21世紀に入ってからの20年間、私が関わってきた環境問題において世界のイニシアチブを握ることは一度としてありませんでした。イニシアチブを握るどころか、国際社会での存在感が希薄な「環境後進国」になってしまったのです。

加藤三郎『危機の向こうの希望 「環境立国」の過去、現在、そして未来』(プレジデント社)
加藤三郎『危機の向こうの希望 「環境立国」の過去、現在、そして未来』(プレジデント社)

同書で私が問い掛けたかったことは、たった一つに集約することができます。

「このままで、いいのですか?」

私は、日本のみならず、いま地球上に暮らすわれわれ世代が地球環境をめちゃくちゃにしてしまったのなら、それをできる限り元通りに戻すのがわれわれ世代の当然の責務だと考えています。そして、これから進む道の羅針盤となるよう、そのための処方箋を同書に収めたつもりです。

土俵際まで追い詰められた今日の環境危機を元の位置まで押し返したとしたら、その先には、持続可能で心豊かな新たな社会、新たな「希望」が開けていると信じています。

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