同期から出遅れた一年目。会わなければ何も始まらない

日本生命保険に入社したのは1999年。だが、研修2カ月目に早くもくじけそうになったと、金子さんは苦笑する。同期は積極的にアポイントをとって営業に出かけていくが、一人出遅れてしまったのだ。電話をかけてもかけてもアポが取れず、自分だけ何もしていないような気持ちになる。不器用な自分に焦りがつのり、職場でぽつんと落ち込んでいた。

すると上司が「そんなに大変なら、こういうふうにやってみたら?」とアドバイスしてくれた。金子さんは営業部にある開拓先のリストを見ながら、片端から電話していく。一件ずつ赤で塗っていくと、小さな達成感が感じられてやる気が湧いてくる。そのうちアポイントがとれるようになり、営業先では持ち前の熱意が発揮されていった。

「はじめてアポをいただけたときに、会うことで始まるんだと体感したので、とにかく多くの人に会いに行こうと必死でした。保険の営業というのは、お客さまの家族状況や人生設計などをしっかり聞いてコンサルティングをし、今の生活にいちばん合ったものをお勧めすること。『もし何かあっても、大丈夫です』と自信をもって伝え、お客さまに安心してもらえるように努めてきました」

新たな職場で弱気になっていた私を変えた年下社員の言葉

入社5年目にはチームリーダーに昇格。メンバーにも恵まれ、目指した目標を達成できた。翌年度はまた新たなチームを率いるが、同じように進めようとしてもうまくいかない。

チームの歯車はだんだんかみ合わなくなり、達成感もないまま終わってしまったのだ。

「一年目に達成できたことを自分の力量と勘違いしていたんです。だから、もっと上を目指したいと、私の思いばかりをメンバーに押し付けてしまった。その結果、『なぜできないの?』『前も言ったよね』などと責めてしまい、できない子の気持ちを理解してあげられなかったんですね。今思えば、本当に申し訳なかったと思うのですが……」

その反省が身に染みたのは、新たな部署へ異動になったときだった。入社7年目で営業の現場から本部へ。当時、営業職からの異動は初めてのケースで、環境も業務内容もまったく違うことにとまどうばかり。職場の人たちも接し方に迷っているようで、気を遣われているのがつらかった。

重点市場開発室 室長 金子彩さん
重点市場開発室 室長 金子彩さん

「なにしろ社内用語がわからなくて、電話の取次ぎもままならない。一度言われただけではできないことも多かった。だんだん孤独感がつのり、自分がここにいる意味って何だろうと悩んでいました」

本部の業務は、営業で使う教材やパンフレットなどのツールを開発することだった。実際、現場ではこういうものをほしいと思うものがあったが、職場でうまく伝えられず、何か言われると弱気になってしまう。いつしか当たり障りなく仕事をするようになっていた。

そんなある日、年下の男性社員のところに自分が作った資料を持っていくと、思いがけない言葉が返ってきた。「せっかく営業経験があるのに、そういう仕事の仕方をするのなら、ここにいる意味ないですよ」。ハッと目が覚めるような気がしたという金子さん。そこで上司に自分が悩んでいたことを相談すると、こう言われたのだ。「周りに合わせた仕事をしなくていい。正解をもらう仕事をするんじゃなくて、あなたが本当に必要だと思うことを発してほしい」。上司の言葉を聞いて、やっと吹っ切れるものがあった。

「本気でものを言うということが大事なんだとわかりました。そうすると周りの接し方も変わってきたんです。自分が本気で向きあえば、相手は本気で返してくれる。初めて同じ土俵に上がれたような気がしました」

現場で本当に必要なものを提案すると、部内の議論も活発になり、協力してくれる人も増えていく。提案が通って作成したデータブックは今でも使われ続けているという。