昇給試験が転機に。仕事を続けてきた今、思うこと
仕事で次なる転機が訪れたのは2014年末、会社から昇級試験の知らせを受けたのだ。在宅介護を続けてほぼ2年、自分にとっては働き方を変えざるを得ない辛い時期でもあっただけに、「このチャンスを逃したくない」と試験に臨んだ。
母を看ながら勉強を続け、論文を書く時だけは一人暮らしの自宅へ戻って集中する。翌2015年1月に試験を受け、その春にはチーフに昇進。入社24年目に管理職となった。
「それまで自分が積み重ねてきたことが評価され、一歩先へ進めたのは嬉しかったですね」と長塚さんは微笑む。
実はその頃、母親の症状はさらに進み、家で看るのもいよいよ限界になっていた。半年ほどの入院の末、この年の夏に母は他界した。それでも最後まで弟と二人で母を看てきたことで、できる限りのことは尽くしたという思いがあったと顧みる。
2年半にわたる介護の日々を終えて、長塚さんはまた現場を持つフェーズの仕事に復帰。大規模な物件を担当するなかで、チーフとして後輩を指導していく立場になった。
かつて介護の渦中、一度は他の部署への異動も思い悩んだが、もしあのまま離れてしまっていたらどうなっていただろう。
「介護ばかりに専念していたらもっと煮詰まっていたでしょうし、仕事をしているからこそ気持ちも前向きに切り替えられた気がします。なにより自分がせっかく積み上げてきたものが途切れてしまうのは辛いこと。同じ仕事を続けてこられたことが今に生きているので、悩みながらもつづけて本当に良かったなと思います」
今度は自分が力になりたい
今年4月に部署を異動。自分が設計担当した仕事をもって、次は着工後に工事を監理する業務を任される。本部内でも新しい試みで、設計を熟知する人材が工事監理に携わることで「その架け橋になってほしい」と期待されての異動だと上司から知らされた。
それは新たなチャレンジだけに、緊張と希望が入り混じる。入社以来、「建築設計」の仕事に誇りをもってきた長塚さんにとって、その醍醐味はどこにあるのだろう。
「私たちの仕事は、オフィスビルや商業施設など建築物ができていく過程に最初から最後まで立ち合える。それが完成した時の充実感、そして多くの人たちと協働できる喜びがあるんです」
その喜びがあるから厳しい仕事にも耐えられるし、親の介護で辛かった時期も乗り越えられた。もし周りに同じ悩みを抱える人がいたら、今度は自分が少しでも力になりたいと長塚さんは願っている。
文=歌代 幸子
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。