自分で判断を下す日本の中間管理職

また、特に長いあいだ会社勤めをしていた男性は、会社のなかである程度のポジションについていたはずです。きっと自分でさまざまなことを判断する場面も多かったことでしょう。

日本の中間管理職は、トップの指示にそのまま従うのではなく、自己判断をする傾向が強い。欧米ではトップの指示は絶対ですが、日本の中間管理職は社長の命令でも自分なりにかみ砕いて部下に伝えるので、自己判断が加わるのです。

実際に私が中間管理職の集まる会議に出席すると「社長はああ言ってますけど、その是非について検討しましょう」という話になったりする。私が知る限り、こんな検討が行われるのは日本だけです。

そういうわけで、団塊の世代は国が「外出しないでください」と言っても、「外出するかどうかは自分で決めることだ」と考える可能性があります。その結果、「電車のラッシュが解消されていないのに花見だけやめても仕方がないだろう」などの自己解釈がなされていてもおかしくありません。

自分で判断する自分がカッコいい

さらにいえば、彼らには、「自分で判断する俺(私)って、カッコいい」という気持ちが心の奥底にあるように思います。「国の言うことをおとなしく聞いて、どこにも出かけない素直な俺」よりも、「国はそんなこと言ってるけど、本当にそうか。花見よりラッシュの解消のほうが優先課題だ」と判断できる自分のほうがカッコいい。「これだけ人生経験を積み、自分の責任で決断を重ねてきた俺が、いままで楽しみにしてきた花見を首相や知事など他人の判断でやめるのか」という感覚があるのかもしれません。

団塊の世代は人口が多いことを武器に、世の中を動かした成功体験を持っています。彼らがしていること、考えていることが常に社会の主流になってきたので、無意識ながら自分たちがいつも正しいと思っているところがあります。世代を問わず、いつも自分の意見が通っていると、常に自分は正しいと思うようになるのが人間です。それが世代として起きている。

クルマを普及させたのも自分たちだし、初めて夫婦で手をつないで公園を散歩したのも自分たち。こんなふうに新しいことを切り開いてきたという矜持がある。その一方で年齢を重ねた今は、自分に自信があるからこそ、意見を押し付けられたくない。

もちろんこれは推測にすぎず、団塊の世代の人たち本人でさえ自覚していないと思いますが、こういう心理が働いている可能性がなくもない気がします。