花見を盛大に開く70代前半の高齢者たち
こんにちは、桶谷功です。
これまでこの連載では、ハーゲンダッツやカロリーメイトなど身近な商品のCMから、その裏にある企業の商品戦略を読み解いてきました。
今回は新型コロナウイルスによる緊急事態宣言のさなかということもあり、個別の商品戦略の解説からいったん離れ、現在のこのような状況下で、どうやってマーケティングセンスを養っていくかという話をしてみたいと思います。
私は常日頃から、ちょっと気になる行動をとる人がいると、「なぜこの人は、こういうことをするのだろう」と考えるのが習慣になっています。最近気になったのは、緊急事態宣言が出てからも、高齢者が出かけている姿を目の当たりにしたことでした。
私の自宅近くには桜並木があり、花見シーズンになるといつも大勢の人々でにぎわいます。しかし今年は新型コロナウイルスの感染が広まっていたので、花見をする人は少ないのではないかと予想していたのですが、桜の木の下で車座になって本格的な宴会をする一団もちらほらいました。よく見ると驚いたことに、そのほとんどが団塊の世代とおぼしき70代前半くらいの高齢者の集団だったのです。
危険性について知識を持っているのになぜ自粛しないのか
そこで私は、さりげなく横を通りながら様子を伺ってみました。服装や話し方からすると、それなりに知的で裕福そうな人たちです。そして漏れ聞こえてくる会話は、「トランプ大統領の指揮下におけるアメリカのコロナウイルスの情勢について」といったものだったのです。
つまり彼らはコロナに関する知識も情報も持ち合わせている。おそらく高齢者が感染したら重症化するということも知りながら、大勢で集まって花見酒を飲んでいるのでしょう。
メディアでは、外出を自粛しないのは若者たちであり、彼らは感染しても症状が出にくいのをいいことに遊び歩いていると批判されていました。しかし各種統計によれば、外出を自粛しない人たちはほぼ全年齢層にわたって存在し、高齢者の外出率も高いことが明らかになっています。
「これは一体、どういうことなんだろう?」
強い興味を抱いた私は、高齢者が外出を自粛しない理由を自分なりに考えてみることにしました。
素直に言うことを聞かないのは、若者よりも「団塊の世代」
実際のところ、高齢者はよく出かけているにもかかわらず、このことは行政もあまり問題視していないようですし、テレビや新聞などでも取り上げられることが少ない。
やはり政治家にとってみれば高齢者は大票田ですし、テレビや新聞など既存メディアの視聴(購読)者は高齢者が大半なので、彼らを敵に回すことはしたくない。だから若者を批判しておくのが、いちばん差しさわりがないのでしょう。
私たちが深く考えずにそういった若者への批判を受け入れてしまうのは、「若者は反抗的だ」という既成概念があるからです。でもよく考えてみると、いまの若者は、実はあまり反抗的ではないのではないでしょうか。
もちろん例外はあるでしょうし、ひとくくりにすることはできません。しかし若い社会人や大学生と話していると、いまの若者は素直ですし、自己中心的ではなく、世の中全体のことを考えている人が多いように思います。
むしろ反抗的といえるのは、団塊の世代のほうなのかもしれません。
ご存じの通り、団塊の世代とは第2次世界大戦直後のベビーブームのときに生まれた人たちで、現在71~73歳くらい。
とにかく人口が多いのが特徴で、彼らの多くは若いころ激しい学生運動を経験し、自分たちより上の世代の大人たちや権力に「NO」を突き付けてきました。そのせいか、いまも体制への反抗的な感覚がどこかに残っている。そのため、どこまで自覚的かはわかりませんが、政府や自治体から「外出せず、家にいてください」という指示が出たりすると、素直に従うことに抵抗を感じる人も多いのではないでしょうか。
自分で判断を下す日本の中間管理職
また、特に長いあいだ会社勤めをしていた男性は、会社のなかである程度のポジションについていたはずです。きっと自分でさまざまなことを判断する場面も多かったことでしょう。
日本の中間管理職は、トップの指示にそのまま従うのではなく、自己判断をする傾向が強い。欧米ではトップの指示は絶対ですが、日本の中間管理職は社長の命令でも自分なりにかみ砕いて部下に伝えるので、自己判断が加わるのです。
実際に私が中間管理職の集まる会議に出席すると「社長はああ言ってますけど、その是非について検討しましょう」という話になったりする。私が知る限り、こんな検討が行われるのは日本だけです。
そういうわけで、団塊の世代は国が「外出しないでください」と言っても、「外出するかどうかは自分で決めることだ」と考える可能性があります。その結果、「電車のラッシュが解消されていないのに花見だけやめても仕方がないだろう」などの自己解釈がなされていてもおかしくありません。
自分で判断する自分がカッコいい
さらにいえば、彼らには、「自分で判断する俺(私)って、カッコいい」という気持ちが心の奥底にあるように思います。「国の言うことをおとなしく聞いて、どこにも出かけない素直な俺」よりも、「国はそんなこと言ってるけど、本当にそうか。花見よりラッシュの解消のほうが優先課題だ」と判断できる自分のほうがカッコいい。「これだけ人生経験を積み、自分の責任で決断を重ねてきた俺が、いままで楽しみにしてきた花見を首相や知事など他人の判断でやめるのか」という感覚があるのかもしれません。
団塊の世代は人口が多いことを武器に、世の中を動かした成功体験を持っています。彼らがしていること、考えていることが常に社会の主流になってきたので、無意識ながら自分たちがいつも正しいと思っているところがあります。世代を問わず、いつも自分の意見が通っていると、常に自分は正しいと思うようになるのが人間です。それが世代として起きている。
クルマを普及させたのも自分たちだし、初めて夫婦で手をつないで公園を散歩したのも自分たち。こんなふうに新しいことを切り開いてきたという矜持がある。その一方で年齢を重ねた今は、自分に自信があるからこそ、意見を押し付けられたくない。
もちろんこれは推測にすぎず、団塊の世代の人たち本人でさえ自覚していないと思いますが、こういう心理が働いている可能性がなくもない気がします。
高齢者は重症化しやすいというデータでは説得できないワケ
しかし現実問題として、高齢者が外出を自粛しないのは問題です。外出を自粛してもらうにはどうすればいいでしょうか。
「コロナウイルスに感染した高齢者は重症化しやすいという事実を、数字などのデータを見せて説得すればいいのでは?」と思うかもしれません。
しかしそうしたところで、おそらく効果は期待できないでしょう。
実は「健康に関する啓蒙・啓発活動には、ほとんど効果がない」ということが、専門機関の研究によって明らかになってきています。
たとえば健康保険組合が「健康診断を受けてください」「メタボだと診断された場合は指導を受けてください」などとアナウンスしても、受診率はなかなか上がりません。「メタボを放置すると将来こういう病気にかかる確率が高くなりますよ」という資料を送ったとしても効果なし。この傾向は特に年齢が上の世代に顕著だといいます。
検診を受けない理由には、「自分だけは大丈夫」と思い込む「正常性バイアス」や、大きな変化を嫌う「現状維持バイアス」が働くということもありますが、やはり元気な高齢者は、「自分のことは自分で判断できる」という自負があるのでしょう。
説得するのではなく、本人から言葉を引き出す
人を説得するというのは、実はとても難しいことです。私もコンサルティングの一環で経営会議などでトップの方に決断してもらわなければならないときがありますが、そんなときでも基本的に説得はしません。どこからも文句のつけようのないデータを用意して、「絶対にこうしたほうがいいですよ」と説得したところで、経営者というのは誰かに説得されるような人たちではないのです。仮にその場では説得したかたちになっても、後日実行に移されなければ意味がありません。
それではどうするかというと、本人が自分で判断したという形にもっていくことです。その経営者が持つ価値観に基づき、その人がよく使う言葉を自分も使って説明する。そして、さまざまな判断材料を揃えたうえで、本人の口から
「それなら、こういうふうにしたほうがいいんじゃないか?」
という言葉を引き出すようにすると、うまくいく確率は高くなります。自分で判断したことは実行に移されるのです。
コロナで外出もままならない現在は、人々が普段とは違う行動をとるときです。こんなときだからこそ人々の行動に注目し、どういう心理が働いているのか、いつもなら考えないようなことを考えてみるのも、マーケティングセンスを磨く訓練になるでしょう。