“ポストバブル期”とはどのようなものなのか
1990年代、とりわけその前半期は世界中で主役がいなくなった時代ともいえる。冷戦構造下の大国であったソ連が1989年に崩壊し、アメリカは生産競争で日本に完敗して日米構造摩擦がピークになっていた。一方、中国は天安門事件で世界中からバッシングを浴びており、何より当時のGDPは日本のわずか1/8という小国に過ぎない状態だったのだ。
欧州も同様といえる。日本同様、ドイツでも人件費の高騰により工場の海外進出が起こり、欧州も牽引役を失った。当時、私のような雇用ウォッチャーからするとドイツの苦境は甚だしいもので、ドイツが誇る、官民一体で若者に職業訓練を行うデュアル・システムなどもその受け入れ企業が先細り、「ドイツ型雇用の崩壊」も騒がれていたのだ。
アメリカはどのように苦境から抜け出したか
こうした苦境からアメリカと欧州が1990年代後半になると何とか抜け出していく。
まず、アメリカは未来学者のアルビン・トフラーが唱えた道を歩いた。トフラーは、ベストセラー『第三の波』で、ITが世界史三度目の産業革命(農業革命→製造革命→情報革命)になると、続いて『パワーシフト』では、金融とITに国力をシフトして世界戦略を描いた国が天下を取ると説いた。歴史を逆回しで今からたどれば、さもありなん、となるところだが、あの時代にここまで後の世を予言したトフラーはやはり怪物だろう。
1992年に、もともとアメリカの軍事通信システムだったインターネットを一般開放し、そこからeコマースは始まる。同時にITと金融の複合技術であるフィンテックに注力し、デリバティブ関連の多彩な商品群をそろえて、一方ではヘッジファンドのようなそれらを駆使して大金を稼ぐビジネスを作り上げた。こうした下準備があって、1997年末から始まるアジア金融不況期に、タイ・韓国・ロシアの危機をしり目に、ヘッジファンドは大金を稼ぎ、アメリカ経済は絶好調になっていく。こうした様を当時は「ニューエコノミー」と呼んだ。
立ち直り期の欧州で生じた不協和音は現代にも影響
欧州の苦境脱却には、EUとユーロ市場の成立という背景がある。この国と通貨の統合時に、ドイツは大いに得をした。輸出大国だった同国は、日本同様、貿易黒字削減圧力を受け、それがマルク高となり、結果、工場の海外進出が進んだのだ。マルクが、1999年にユーロへ通貨統一されるときに、経済状況が優れない南欧などの状況とバランスされて、実勢よりもかなり「安い」レートに設定ができた。そのうえ、シェンゲン条約により、EU域内から安い労働力を容易に獲得できるようにもなる。こうしてドイツがまず息を吹き返し、その好調の波は、フランスやイギリスなど、いわゆる「欧州先進国」のみに及び、他地域との確執を生んでいく。
その後、独仏英などの好調国家では安定した財政状況から金利が下がっていく。結果、独仏英の銀行は国内で安く資金を調達し、それを南欧の高金利国で企業に融資する形で利ザヤを稼ぐのだ。つまり、1990年代末の欧州の立ち直りとは、すなわち、独仏英のみが得をする形で成り立ったともいえるだろう。だから各地で不協和音が起こり、極右政党や脱EUイデオロギーが盛り上がりを見せる。欧州は現在までその問題を深く抱えることになっていく。昨今、イタリアやスペインの救済目的に欧州債発行が叫ばれ、それに対してドイツが反対するという構図は、90年代にその禍根があった。