「個性」や「人と違う」の意味を子どもたちに突きつける
先ほどの述べたように、リリアーネの持つ「動物と話せる」「植物の発育を促進できる」といった能力は「魔女」と揶揄され、いじめられ、彼女が何度も転校する理由になっている。天才少年イザヤにとっても、賢すぎることは「ガリ勉」などとバカにされる部分であり、隠したいものになっている。
他人にはない優れた能力であるにもかかわらず、それらは主観的には弱点であり、人には見せたくないものである。これは子ども時代を振り返れば、多くのひとに心当たりがあるものだろう。勉強ができるとか、何かに詳しいといった「他人との差異」は、からかいの対象になりがちだ。
けれども、それこそが誰かを救うことができる、自分らしい個性だったとリリアーネたちは気づいていく。
「この作品では動物が『どうして人間は、ぼくたちにそんなことをするの?』と素朴に問いかけてくるんです。それは人間本意な考えからだったり、人間同士なら『普通でしょ?』『当たり前じゃん』で片付けられがちな問題だったりします。その問題を、本書は目をそらさずに読者に突きつけてきます」(学研プラス 幼児・児童事業部 絵本・読み物編集室読み物チーム岡澤あやこ氏)
読者は作品から投げかけられる「普通って何だろう?」という問いに自分なりに考え、反芻する。もっとも、動物の種を超えた愛や同性愛を描いても子どもたち(特に年齢が低い層)は「そこに引っかかったりせず、先入観があまりないため『そうなんだ』と柔軟に受けとめている印象です」(岡澤氏)。
ときには“エグい”問いかけも辞さない
また、動物をテーマにした作品だけあって、世界各地の実話も参考にしながら、密漁や動物虐待などの問題はもちろん、環境破壊や気候変動による絶滅危惧への警鐘も扱っている。しかもそれはたんに「自然を守ろう」と素朴に訴えるものではない。
たとえば第12巻ではアフリカのナミビアを舞台にする。そして観光資源となっている欧米人のトロフィーハンティング(野生動物を狩猟してその皮を剥ぎ取ったり剥製にしたりするスポーツ)を拒否すれば現地の人の生活は立ちゆかなくなるが、それでも動物を守るか? それとも……とリリアーネを通じて、読者に問いかける。
トロフィーハンターは「みなさんが今夜めしあがったステーキだって、動物がぎせいになっているじゃないですか」「あなたは自然を守るためになにをなさったんです?」と突きつけてもくる。
最終的にはリリアーネとイザヤが思い切った行動をすることで問題は解決に向かう。だがおそらく子どもたちはこれを読んで、「生きていくためにはお金が必要」ということ「自然や動物を守る」ことを両方大事にしていく――まさに“持続可能な開発”を目指す――にはどうしたらいいのか、深く考えるはずだ。