社長時代、大赤字のピンチから大逆転

紹介事業本部の表彰式で、受賞したメンバーを祝福する山本さん(2017年)

人材紹介市場が急激に伸び始めた2007年。キャリアバンク事業部が「毎日キャリアバンク」として分社化され、山本さんは代表取締役社長に就任する。ミッションはただ一つ、事業の急成長だった。

そこからの山本さんの活躍は、同社の成長ぶりを見れば明らかだ。分社化の時点で赤字だった業績は、約2年後、リーマンショックが起きたにもかかわらず過去最高の利益を出して黒字に反転。社員数も大幅に増え、グループに欠かせない事業として認められるようになった。

「でも、失敗も多かったんですよ。事業成長を急ぐあまり、多少不向きな人でも、まずは営業職として売り上げを作ってもらう配置をしたり、リーダー不足のため、時期尚早でも管理職に昇進させたことなどで、離職率が上がってしまって。成功体験を得られるまで、時間を与えてあげられなかったことが一番の要因でした」

今は大きな組織になり、職種や職位とのミスマッチを解消できる受け皿もあるが、当時は組織も小さく、本人の適性ありきで配置する受け皿がなかったという。山本さん自身もとにかく増員スピードを重視し、一刻も早く赤字から脱却することに無我夢中だったそうで、「社員一人ひとりへの配慮も足りず、社長としての痛みをたくさん経験しました」と振り返る。

ただ、事業が黒字化し、グループ内で注目を浴びるようになると、これまでの苦労は報われ、社員のモチベーションは自然に上がっていく。山本さんが失敗から学んで適正配置を重視するようになったこともあり、会社は「人が辞める組織」から「人が育つ組織」に変貌した。

急成長の陰では、風当たりの強さにも悩まされた。急な拡大でオフィスが手狭になり、当時できたばかりの高層オフィスビルに移転した時のこと。グループ内から「まだ赤字の小事業部が何であんな家賃の高い所に」という声にもさいなまれた。

移転先を決めたのは親会社の社長だったが、山本さんは「私も若くてイケイケだったから(笑)」、喜び勇んで移転。だが、思わぬ批判に悩まされ、しかもその直後にリーマンショックが起こる。

「家賃のために働いているような毎日でした。そこで勝負に出ようと思って、他社が手薄だったメディカル領域に注力したんです。できることを全部やった結果、リーマンショックの中で初の黒字化を達成することができました。この大逆転がなかったら、首が飛んでいたかもしれませんね」

年に6回開催される「ワーママランチ会」は楽しい交流の場になっている(2018年)

まさに大ピンチからの一発逆転。これをきっかけに会社は順調に滑り出し、批判の声もなくなった。そして、この大逆転のおかげで安心できたことがもう一つ。心置きなく産休・育休に入ることができたのだ。