「時間がない」と言わない

「時間がない」という言葉は、あまり言わないようにしています。

「スケジュール管理能力がない」と言っているようなものですから。

もちろん、時間の余裕がないことはあります。優先順位の低いことはやりません。

しかし、強烈に「これはしたい!」「この人に会いたい!」と思ったことは、かならず実行するようにしています。「時間がないからできない」ではなく、「時間がないなか、どうしたらいいか?」と考えると、なんとかなるものです。

先日は、仕事がたんまりあるなか、ずっと尊敬していた人に会えることになり、スケジュール帳とにらめっこ。「なんとかなりそう!」と膝を打ち、台湾に夕方着いて、翌朝帰る……という無茶なことをやってしまいましたが、「行ってよかった!」と満足感でいっぱい──そんな経験は、一生の財産になると思うのです。

かつては「時間がない」とやりたいことを先送りすることもありました。ですが、忙しい人をよく観察すると、そんな人にかぎって、ちゃっかり遊んでいたり、しっかり勉強を続けていたり、じっくりなにかに取り組んでいたりする……。彼らは「あれこれやるぞ!」とやみくもにがんばっているのではなく、優先順位をハッキリさせて、「限られた時間でも、できる方法はある」と時間の使い方に注力しているのです。

仕事と子育てで忙しい友人は、電車での通勤時間に勉強をして、いくつもの資格を取得しました。練習時間の短い進学高校のスポーツ部が、時間をかけた強豪校に勝利することがありますが、限られた時間で効率的な方法を編み出しているからでしょう。

時間は1日24時間、ひとしく与えられています。「時間がないから遊べない」「勉強できない」なんて言っていたら、人生が終わってしまいますよ。

「時間がないからできない」と言っている人は、時間があってもできません。

だれかのために時間を使う

ある男性がこんなことを言っていたことがありました。

「男はよく『家族のために毎日がんばってる』なんて恩きせがましく言うけど、あれは違うよね。仕事は自分が認められたいとか、役に立ちたいって気持ちがあるからやってるわけで、そもそも家族を養うのも、そうしたかったからでしょう」

たしかに「100%だれかのための時間」というのはありえないと思ったのです。「自分のための時間」「だれかのための時間」は、単純に割り切れるものではありません。「あの人にはこれだけやってあげた」「親が望むように生きてきた」「会社のために働いてきた」という人は、自分の時間を犠牲にしてきたと思っているのでしょう。

わかっておきたいのは、人生の時間はすべて「自分で選択できる自由時間である」ということ。どう使うかは、一人ひとりに委ねられています。「いや、そんな自由はない」と思うなら、「~しなくては」という呪縛に縛られているのかもしれません。

「だれかのための時間」でも、「自分がそうしたいから」と思えば、「自分のための時間」になります。その意識がなければ、他人に振り回されてばかりの時間です。

「だれかのため」とだけ考えては、自分の気持ちが置いてきぼりで、身がもちません。

逆に「自分のための時間」ばかりでも、虚しさがあるものです。人は「だれかのためだからがんばれる」ということが多い。仕事をするのも、食事を作るのも、遊びの計画を立てるのも「あの人の喜ぶ顔が見たい!」と思えば、張りきります。

人の役に立ったり、認めてもらえたりすることで、安心感も幸せも得られます。

自分のための時間も必要ですが、「だれかが喜んでくれることが自分の幸せ」と思える時間をもてたら、より大きな幸せがもたらされるのではないでしょうか。

「あの人の喜ぶ顔が見たい」は自分を育ててくれます。