毎日忙しく「やらなければいけないこと」ばかりに追われていませんか? 2020年を「やりたいこと」をやる年にするにはどうすればいいのでしょう。お正月休みのうちにゆっくり考えたい「時間の使い方」についての作戦です。

※本稿は有川真由美『いつも機嫌がいい人の小さな習慣』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/seb_ra)

生活の優先事項を3つ以内に絞る

現代人はほんとうに忙しい。社会生活を送っていると、「やらなきゃいけない」と感じることがつぎつぎに押し寄せてきます。いい仕事をすること、家族サービスをすること、人と交流すること、学ぶこと、運動をすること、服に気を使うこと……。情報をたくさん集め、1日に多くの予定を詰めることが「充実している」と思うかもしれません。

しかし、「たくさんのことをするのがいい」という価値観や時間の使い方は、そろそろ卒業しませんか?

あれもこれもと、あきらめない姿勢は、一見、パワフルに見えますが、現実は、どれも中途半端で不満が残り、疲れてしまうはずです。なにより、ほんとうに大切なことがわからなくなってしまうでしょう。

それよりも、自分にとって大切な優先事項を3つ以内に絞って、「あとは適当でいい」と手放してしまったほうが、幸せを実感できます。私たちが「やらなきゃいけない」と思っていることのほとんどは、実は「やらなくてもいいこと」なのです。

やることを広げるよりも、やることを絞って深めていったほうが、「自分はなにを大切に生きるのか?」という自分の軸ができて、充実感も、満足感も得られます。

手放したものは、永遠になくなるわけではありません。「いまは、これを大事にしたい」でいいのです。だれがなんと言おうと「いまは趣味が第一。あとは適当でいい」という人もいるし、「夢に向かって生きる」「家族ファースト」という人もいます。

自分の大切なものをちゃんと理解している人は、幸せで魅力的に見えます。

優先事項を絞る習慣で、人生の時間を大切にできるようになるのです。

人生でもっとも大切なスキルは、大切なことを絞る力です。

「時間がない」と言わない

「時間がない」という言葉は、あまり言わないようにしています。

「スケジュール管理能力がない」と言っているようなものですから。

もちろん、時間の余裕がないことはあります。優先順位の低いことはやりません。

しかし、強烈に「これはしたい!」「この人に会いたい!」と思ったことは、かならず実行するようにしています。「時間がないからできない」ではなく、「時間がないなか、どうしたらいいか?」と考えると、なんとかなるものです。

先日は、仕事がたんまりあるなか、ずっと尊敬していた人に会えることになり、スケジュール帳とにらめっこ。「なんとかなりそう!」と膝を打ち、台湾に夕方着いて、翌朝帰る……という無茶なことをやってしまいましたが、「行ってよかった!」と満足感でいっぱい──そんな経験は、一生の財産になると思うのです。

かつては「時間がない」とやりたいことを先送りすることもありました。ですが、忙しい人をよく観察すると、そんな人にかぎって、ちゃっかり遊んでいたり、しっかり勉強を続けていたり、じっくりなにかに取り組んでいたりする……。彼らは「あれこれやるぞ!」とやみくもにがんばっているのではなく、優先順位をハッキリさせて、「限られた時間でも、できる方法はある」と時間の使い方に注力しているのです。

仕事と子育てで忙しい友人は、電車での通勤時間に勉強をして、いくつもの資格を取得しました。練習時間の短い進学高校のスポーツ部が、時間をかけた強豪校に勝利することがありますが、限られた時間で効率的な方法を編み出しているからでしょう。

時間は1日24時間、ひとしく与えられています。「時間がないから遊べない」「勉強できない」なんて言っていたら、人生が終わってしまいますよ。

「時間がないからできない」と言っている人は、時間があってもできません。

だれかのために時間を使う

ある男性がこんなことを言っていたことがありました。

「男はよく『家族のために毎日がんばってる』なんて恩きせがましく言うけど、あれは違うよね。仕事は自分が認められたいとか、役に立ちたいって気持ちがあるからやってるわけで、そもそも家族を養うのも、そうしたかったからでしょう」

たしかに「100%だれかのための時間」というのはありえないと思ったのです。「自分のための時間」「だれかのための時間」は、単純に割り切れるものではありません。「あの人にはこれだけやってあげた」「親が望むように生きてきた」「会社のために働いてきた」という人は、自分の時間を犠牲にしてきたと思っているのでしょう。

わかっておきたいのは、人生の時間はすべて「自分で選択できる自由時間である」ということ。どう使うかは、一人ひとりに委ねられています。「いや、そんな自由はない」と思うなら、「~しなくては」という呪縛に縛られているのかもしれません。

「だれかのための時間」でも、「自分がそうしたいから」と思えば、「自分のための時間」になります。その意識がなければ、他人に振り回されてばかりの時間です。

「だれかのため」とだけ考えては、自分の気持ちが置いてきぼりで、身がもちません。

逆に「自分のための時間」ばかりでも、虚しさがあるものです。人は「だれかのためだからがんばれる」ということが多い。仕事をするのも、食事を作るのも、遊びの計画を立てるのも「あの人の喜ぶ顔が見たい!」と思えば、張りきります。

人の役に立ったり、認めてもらえたりすることで、安心感も幸せも得られます。

自分のための時間も必要ですが、「だれかが喜んでくれることが自分の幸せ」と思える時間をもてたら、より大きな幸せがもたらされるのではないでしょうか。

「あの人の喜ぶ顔が見たい」は自分を育ててくれます。

「与えられた人生の時間」を意識する

大切な友人が、この世界から旅立っていきました。

家族のいない彼女は、亡くなる数カ月前に主治医から「動けるのはあと2~3カ月ですから、いまのうちに会いたい人に会って、行きたいところに行っておいてください」と言われたといいます。

有川真由美『いつも機嫌がいい人の小さな習慣』(毎日新聞出版)

そのとき、「そんなこと、いまさら言われなくても、ずっとやってきたあたりまえのことよね」と笑った彼女は、たしかに、それまでと同じ時間との向き合い方をしていました。やりたいことをやり、やりたくないことはしない。会いたい人に会い、会いたくない人には会わない。自分の好きな世界を大切にする。人のためにできることをする……。

ホスピスに入ってからも「もっといろいろなことを知りたい」と本を読み、お見舞いにきた友人たちと大いに笑い、持ち物はきれいに処分して去っていきました。

悲嘆するのではなく、「いまの幸せな時間」を心から喜んでいました。10代20代で大病をした彼女は、人生の時間をいつも意識していたのかもしれません。

よく「残された時間」などと言いますが、ほんとうは「与えられた人生の時間」ではないでしょうか。そもそも生まれたこと、生きていること自体が奇跡なのですから。

「与えられた時間」を意識する習慣のある人、まったく意識していない人では、時間の過ごし方はまったく変わってきます。「与えられた時間」を意識していれば、ほんとうに大切なことに時間を使いたいと思います。人を恨んだり、後悔したりしている場合ではなく、人生のストーリーを的に、真剣に考えるようになります。

将来を漠然と不安がるのではなく、現実的に時間に向き合うようになります。

どの時点を切り取っても「いい時間を過ごした」と思える生き方がしたいものです。

「時間には限りがある」とわかっている人は強いのです。