男性を仮想敵にしても何も解決しない
子どもを育てるという行為自体は、どの時代も、常に誰かがやっていたことです。例えば昭和の高度経済成長の時代には、おもに専業主婦が担っていました。また、核家族が定着する前は、同居する祖父母世代が子育てのサポートをしていました。でも、現代の日本でそれを求めるのは難しい。現代は、男性も女性も同じように働きながら子育てをする時代です。
「子育てをしない(ように見える)男性」「子育てをサポートしない(ように見える)男性」を仮想敵にしても、なんの解決にもならないと思うのです。
もう一つ嫌いな言葉に「家族サービス」があります。外食や旅行に「連れて行く」のは、男性から家族に対する「サービス」なのでしょうか。単純に、家族と一緒に、外食や旅行を楽しめばいい。それだけなのではないでしょうか。
子育ては、ママに任せておけばいいものでもなく、イクメンに丸投げされるべきものでもありません。夫婦で力を合わせ、助け合ったり補い合あったりしながら、折り合いをつけてやっていくものです。
もっと言ってしまえば、子どもは会社や社会全体で、助け合い補い合いながら育てていくべきなのではないでしょうか。
夫婦は、借りがあるくらいがちょうどいい
今朝も、朝ご飯をつくり、娘を保育園に送って行きました。今週は妻の仕事が佳境に入っていて、子育てにおける私の出番が増えています。
妻は外資系IT企業に勤めているのですが、育児休業が明けて職場に戻ってみたら、1年前とはビジネスモデルも、仕事内容もずいぶん変わってしまっていたと言っています。時代の変化のスピードが本当に速くなっていて、別の部署に移ったような感覚なのだそうです。1歳(当時)の娘がいる女性に、こんなに忙しい仕事を任せるのかと思いましたが、それが妻の仕事です。
保育園の送り迎えだけで言うと、妻の担当は週に送り1回、迎え2回くらいです。それ以外は私が担当することになりました。仕方がない。そこはお互いのやりくりです。妻の迎えが2回ということは、妻には3回残業をするチャンスがある週だということです。私は2回。その代わり、週末に妻が娘を連れて実家に泊まりに行くときは、私が集中して仕事をする。それが“生活のやりくり”なのです。
たまに娘が病気になるときがあります。どちらかが仕事を休むなり、在宅勤務に切り替えるなりしなければなりませんが、これもやりくりです。
私が学生だった頃と違い、今の大学は大変に厳しくなっており、休講はできるだけ避けるものになっていますし、必ず補講をしなくてはなりません。講義を休みにすることはできないので、妻が仕事の調整をすることが多くなります。在宅勤務に切り替えたり、ベビーシッターさんを頼んだりします。
タイミングによっては、妻も調整が難しいときがあります。そんなときは、講義は休めないけれど、学内の委員会だけは欠席させてもらうなどして、私が調整します。どうしても調整できなくて、私が都内の自宅から埼玉にある妻の実家まで、車で娘を預けに行ったこともありました。