ライバルが活躍する姿に焦った時期も
娘が生まれてから、夜間の仕事はほとんどしなくなりました。飲み会の予定や趣味のライブへ行く回数も減らしました。というか、できなくなりました。
それでも、たまに夜出かけなければならないことがあります。テレビやラジオは突然来てくれと言われることがあるので、急なメディア出演で夜遅くなるときは、「ごめん、お迎えを交代してくれる?」というやりくりをします。
私が借りをつくることもあるし、妻に貸しをつくることもある。このバランスが崩れないように気をつけています。お互い相手に「ちょっと借りがある」と思えるくらいが、ちょうどいいバランスなのです。以前のようには働けません。ライバルたちが活躍する様子を見て、焦った時期もありました。正直なところ、自分の意思だけで仕事の時間をとることができない状況はつらく、ジレンマがあります。
とはいえ、「今しか見ることのできない世界を見に行く」というスタンスで、子育ての時間を「楽しむようにしている」最中なのです。
保育園へ行くと、私は「愛ちゃんパパ」として子どもたちに認識されています。娘の同級生はまだ2歳だけれど、わかってくれているようです。延長保育は縦割りクラスなので、3歳、5歳の大きいお兄さんやお姉さんたちが、よく声をかけてくれます。
先日は、保護者の方から「広告関係のお仕事ですか」と声をかけられました。見た目では、大学の先生には見えなかったかもしれません。気づけば、見た目も仕事も、どこにも定まらない自分になっているのだけれど、今はそれに耐えるしかないという気持ちです。そもそも、平日の住宅街に茶髪、長髪の中年男性がいると、いまだに奇異な目で見られる社会なのです。
仕事はサボれても、子育てはサボれない
娘がいる生活は、しあわせです。ただ、「ワーク・ライフ・バランスが充実していてしあわせ」という像を押しつけるな、と言いたい。
端から見ると、私がやっていることは「ワーク・ライフ・バランス」そのものかもしれません。ただ、家事と育児をやってみて思うことは、「ライフ」は「ワーク」そのものだということです。そして、仕事はサボることができても、子育ては「いのち」がかかっている分、サボることができず、生活のきつさが増すという側面があるのです。
子育てはたしかに楽しい。しかし実際は、葛藤とジレンマの毎日です。一部妥協し、夫婦で貸し借りをつくりながら、一生懸命やりくりしているのが実情です。
(中略)
夫婦は子育ての最小チームで、同志です。ふたりで話し合い、やりくりしながら子育てをする。そして、ふたりでやりくりできないことは、身近な家族や友人、地域、社会に頼っていくことになります。貸し借りの輪が広がっていくことこそ、子育ての醍醐味です。
子育ては、借りがあるくらいがちょうどいいのです。
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1974年札幌市出身。一橋大学商学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。リクルート、バンダイ、クオリティ・オブ・ライフ、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学専任講師。2020年4月より准教授。著書に『僕たちはガンダムのジムである』『「就活」と日本社会』『なぜ、残業はなくならないのか』『僕たちは育児のモヤモヤをもっと語っていいと思う』ほか。1児の父。