イクメンの強要は暴力になりえる
イクメンという言葉は、「男性も育児に参加する」という世論をおこしたという点においては評価するべきものだと思います。最近は、子育て中の社員を理解し、活躍を後押しする「イクボス」という管理職のあり方も定着しつつあります。
子育ては大切な仕事です。働く男性が育児に参加すること、育児をする部下を応援する管理職がいることは、誰からも否定されることではありません。
ただし、生産年齢人口が減る中で、仕事の量を減らしたり、難易度を下げたりすることなく、イクメン、イクボスを会社や社会が強要することは、ときに「暴力」になります。しかも、事情も考慮せず「イクメン、イクボスをやらない人はけしからん」と糾弾するのは言葉の暴力です。
いかにも仕事と家庭を両立している理想的なイクメン像、凄母(すごはは)像が喧伝される社会において、なかなかそうはなれずに悩んでいるパパやママもいるのではないでしょうか。私も含めた、そういうパパやママのことを思うと、仕事と家庭の両立を達成している「スゴい人」が華々しく登場する一部メディアの論調には、怒りさえ感じてしまいます。その様子を見て、精神的に参ってしまうことだってあります。
家族のために仕事も家事も育児もするのは当たり前
娘はかわいいし、妻にはしあわせでいてほしい。私は私の家族のために、仕事も家事も育児もしています。でも、それは当たり前のことです。共働きをしている夫婦間で役割分担をすることは必然です。
その行為自体を、「イクメン」と持ち上げられることに違和感があります。イクメンが、仕事と育児を両立している「スゴい人」である限り、男性の子育てが当たり前の社会にはなりえないのではないでしょうか。イクメンと言えば言うほど、男性の家事や育児がまだ当たり前のこととして根づいていないということを表明してしまっているのではないでしょうか。
子育てを女性だけが担ってきた時代があり、女性が子育てをしながら仕事を続けることに困難を感じる時代がありました。男性であるだけで優遇されていた時代もあったでしょう。しかし、今は違います。「男性も育児を!」と声高に叫ぶ気持ちもわかるけれど、男性が仮想敵になってしまってはいけないと思うのです。男性だ、女性だと敵対するのではなく、互いに働きながら協力して子どもを育てる。そのために何が必要か、見極めなければなりません。(中略)