入社20年目で思いをカタチに
以降、営業部門の管理職としてさまざまな部署を経験。41歳の時には単身赴任にも直面したが、家族の「責任をもって応えるのが仕事なんだから頑張ってこい」という言葉が背中を押してくれた。地方支社で、お客さまや地域と密接に関わりながら成長を続けた阪本さん。その経験は、次に任された新組織の立ち上げに大いに役立った。
任されたのは、輸送の安定性を含めたお客さまサービス向上のための新部署「サービス品質改革部」の立ち上げ。接遇やお客さまの声を基にした従来のサービス施策だけでなく、輸送品質向上を全社で取り組むという社の方針は、お客さまの役に立ちたいという自分の思いとも重なった。その直前に、阪本さんは一般のお客さまを招いて社員との直接対話を開いた。リアルなお客さまと現場第一線社員の対話を通して、会社が目指すべき姿を「みんなのJR」という言葉にまとめ上げるプロセスを体験し、今こそこの共創の精神を反映すべきだと思った。
お客さま、会社、自分の思いが一つの言葉になった瞬間。入社からちょうど20年が経っていた。確かな原点があったからこそ、ここまで歩んでこられたのかもしれない。忙しさやつらさで見失いそうになった時は、周りが思い出させてくれた。
「事故防止や接遇向上など今のポジションですべきことで頭がいっぱいになっていた時期もありました。その時は、部下に『部長は将来何をしたいですか?』と聞かれてハッとしましたね。以降は原点を忘れたことはありません。お客さまのために、誰もが使いやすい優しい鉄道にしたい──。役員になった今も、私の軸として胸に刻んでいます」
役員になってもありのままの自分で
49歳になった時、執行役員に就任。はたからは十分な実績を積んだ上での昇格に思えたのかもしれないが、本人は「絶対無理だと思った」と笑う。就任はしたものの、重責を担う自信が持てず、やがて自分に足りない点ばかりを数えるように。このままではいけないと、メンタルトレーニングに通い出した。
メンタルトレーニングでは、指導に従って、やり遂げてきたことや自分で頑張ったと思ったことを20枚以上のA3用紙に書き出してみたところ、「私、結構頑張ってきたなと思えて」スッと肩の力が抜けたという。自信がないと認める勇気が、前進のきっかけになったのかもしれない。支えを求めて受けたメンタルトレーニングが、ありのままの自分でいいんだと気づかせてくれた。
今後は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けてハード・ソフト両面からの「誰もが使いやすい鉄道」のさらなるレベルアップを目指す。
「安全・安心の提供を第一に、国内外のお客さまに十二分に楽しんでもらえるよう、社員一人ひとりが成長できるよう、力を尽くしていくつもりです。この貴重な機会を通して、皆さんに『日本っていいね』と思ってもらえたらうれしいですね」
役員の素顔に迫るQ&A
Q 好きな言葉
一期一会
Q 趣味
散歩、映画鑑賞
Q 愛読書
『ドラッカー 365の金言』P.F.ドラッカー
Favorite Item
手帳と万年筆
「万年筆は上司から受け継いだ思い出の品。使うたび、上司の言葉や学んだことなどを思い出しています」
東日本旅客鉄道 常務執行役員 鉄道事業本部営業部担当 観光担当 オリンピック・パラリンピック担当
1989年、東京女子大学文理学部卒業。JR東日本に入社。人事部、営業部などを経て2001年渋谷駅副駅長に就任。07年、営業部長として水戸支社に単身赴任。その後、大宮支社営業部長、サービス品質改革部長などを経て15年執行役員 大宮支社長に。執行役員 鉄道事業本部営業部長を経て19年6月より現職。
文=辻村 洋子
1989年、東京女子大学文理学部卒業。JR東日本に入社。人事部、営業部などを経て2001年渋谷駅副駅長に就任。07年、営業部長として水戸支社に単身赴任。その後、大宮支社営業部長、サービス品質改革部長などを経て15年執行役員 大宮支社長に。執行役員 鉄道事業本部営業部長を経て19年6月より現職。