女性最多の勝ち数をあげ、「もう思い残すことはない」と引退。競馬を完全に離れ、母として生きていくことを選んだ宮下さん。そんな彼女に、復帰を決意させた出来事とは――。
宮下 瞳●1977年鹿児島県生まれ。95年に騎手免許を取得、名古屋競馬場で初騎乗。2005年に日本の女性騎手最多勝記録を更新(通算351勝)。11年に引退したが、16年に騎手として復帰した。

引退後に返り咲いた、日本で唯一のママジョッキー

その日、最後の騎乗となった第9レースを終えると、宮下瞳さんは早々にシャワーを浴びて名古屋競馬場を出ていった。帰宅後、車で向かったのは、4歳の次男が待つ保育園。さらに小学1年生の長男を預け先の児童館で出迎える。競馬場では勝負師らしい鋭さがありありと宿っていた表情が、息子たちと手をつないで帰宅する頃には、別人のように和らいでいた。

「レースに出た日は、長男から必ず『今日は勝った?』って聞かれるんです。勝った日は『やったー! おめでとう』。ダメだった日も『また明日がんばればいいじゃん』と励ましてくれます(笑)」

競馬場から車で30分。宮下さんの住まいは名古屋競馬場の関係者が暮らす団地で、競走馬を飼育している厩舎(きゅうしゃ)と、馬の訓練を行うトレーニングセンター(通称「トレセン」)と同じ敷地内にある。

早朝から馬を調教するのが騎手の日課だが、彼女は子育ても同時にこなさなくてはならない。早いときは午前2時前から馬に乗るが、5分でも時間が空けば、子どもたちの様子を見に戻る。調教を終えたら、子どもを保育園と学校に送り、競馬場行きのバスに飛び乗る。まさに分刻みのスケジュールだ。

夫の小山(おやま)信行さんも以前は騎手として活躍していたが、引退後は厩務員として韓国で働いているため、育児のサポートは近所に住む“おばあちゃん”が頼りだという。

「親戚とかではなく、近所に住んでいる厩務員さんのお母さんなんです。朝ごはんを毎朝子どもたちに食べさせてくれる間は、私は攻め馬(調教)に集中できる。本当に助かっています」

「いいんじゃない?」夫の後押しで復帰を決意

宮下さんの騎手デビューは1995年、18歳のときだ。祖父が飼っていたポニーが大好きで、子どもの頃から「馬に関わる仕事がしたい」と夢見てきた。兄の康一さんが名古屋競馬場の騎手になると、その後を追うようにこの仕事に就いた。

「当時、名古屋競馬場の女性騎手は私1人。でも、兄がいてくれたおかげで、先輩たちにはかわいがってもらいました」