愛知県豊橋市内。延床面積3400平方メートルの工場建設現場が、岡田良子さんの今の職場だ。
鹿島建設中部支店で初めて技術系の女性管理職となり、200人以上の職人が集うこの現場を任された。作業着にヘルメット姿で広大な敷地を走り回り、作業中の職人たちに声をかけるその姿は、現場にすっかり溶け込んでいる。
「男性だらけの環境には慣れっこなんですよ。私は3人きょうだいの末っ子なんですけど、姉よりも兄やその友達とばかり遊んでいました。ドッジボールが好きだったので、攻撃的なタイプかも」
そう言って、岡田さんは屈託なく笑う。ゼネコンを志したきっかけは、1988年、高校生のときにニュースで見た東京ドームだった。日本初の屋根付き球場。幼い頃から父親とナゴヤ球場のテレビ中継を見ていた岡田さんにとって、それは夢のような空間だった。
あの屋根はどんな構造になっているのか。どうやってつくるのか。いつか私もつくってみたい――。その夢をかなえるべく、大学は工学部の建築学科に進み、ドーム球場を多く手がけていたゼネコンに晴れて就職したのだが……。
「『ドームをつくりたいんです』と上司に話したら、『えっ。ドーム(事業)はおおかた終わったんじゃないかな』って……」