やりたい仕事に手が届かず限界を感じ退職を考えた

その翌年、阪本さんは社内試験を受けて「びゅうプラザ上野」の助役として初めてのマネジメント職に就く。これまでとは違い、主な業務は職場の「マネジメント」。難しいジャッジを迫られることも多く、責任の重さを痛感したという。約1年と短い間ではあったが、この期間はリーダーの役割を考える上で大事なステップになった。

2016年には大宮支社長として春の観光キャンペーンを指揮。

キャリア最大のピンチが訪れたのは、次の異動先でのこと。労働基準法の改正により、女性の職域が一気に広がろうとしていた。阪本さんはその準備をすべく本社営業部に異動。夜間勤務や駅、車掌、運転士など、従来は“男の職場”だったところへ女性も進出することになり、駅を所管する営業部としても、制度や駅の設備も含めて早急な改革が求められていた。阪本さんも、膨大な準備作業に追われながら懸命に改革案を練った。

「他の部署や支社との調整は困難を極め、やっとの思いでまとめた提案をたびたび差し戻しされて、『こんなに頑張っているのに何が足りないんだろう』と、何度も考え込む日が続きました。自分自身の限界を感じ、初めて本気で辞めようと思った時期でした」

ある時、上司から、「どうしてそんなに悲壮感を持って仕事をするのか」と言われたことを今も忘れない。「この経験、この一言で、初めて自分と向き合うことができたのかもしれません」。ただ、今回ばかりは、前向きになれる方法がわからなかった。

他社の女性役員に救われて再スタート

救ってくれたのは、2年にわたる外部研修で出会った他社の女性役員だったという。誰にも言えなかった悩みを2時間にわたりただただ聞いてくれた。

試練を乗り越え渋谷駅副駅長に大抜てき。リーダーのあり方を学んだ。

「話を聞いてもらううちに、頭が整理されてつらさの原因が見えてきました。今までは、事前に与えられていたことをしっかりと間違いなくこなすことに長けていただけでした。今思えば、今回の労基法改正では、目的は何か、会社としてどのような価値を創り出すことができるのか、ありたい姿を関係する皆で共有・定義し、施策を打ち出すべきだった。そして、何より私が入社したいと思った動機は『全てのお客さまにとって誰もが使いやすい鉄道にしたいからで、周囲に自分を認めてもらうことじゃない』そう気づいてから、仕事への意識が変わりました」

入社直後、新宿駅で車掌実習中の阪本さん(写真右)。このときの感動が仕事の原点に。

試練を乗り越えてから3年後、阪本さんは渋谷駅の副駅長に就任する。女性ではまだ数少ない管理職への大抜てきだった。ここでは、アメリカ同時多発テロ事件による厳戒態勢、サッカーW杯での駅前の大混乱、Suicaの導入開始などに当事者の一人として立ち会い、鉄道が果たすべき責任やその影響の大きさをあらためて現場で実感した。何よりも「明るく元気に」という駅是のとおり、リーダーは「悲壮感」より心の余裕を伴った「明るさ」が大切だと教えられた。