「どうあるべきか」と「どうあるか」の違い
建前と本音のズレについて、もう少し考えてみましょう。例えば、宿泊したホテルでお湯が出なかったとします。そんな時に「ホテルはお湯が出るべきだ」と騒いでも事態は解決しません。従業員はお湯が出ないという現実を見つめ、原因を探り、それを直すのが先決でしょう。
お湯が出ないという「現実=どうあるか」を見つめ、ホテルはお湯が出るべきだという「目指す姿=どうあるべきか」に近づけていくわけですね。これと同じで、男性も気兼ねなく育休をとれるようにすべきだ、定時に帰れるようにすべきだと騒ぐだけでは、何も解決しません。
私たちは、男性が育休をとっても転勤を命じられない社会、定時に帰っても注意されない社会をつくる努力をしなければなりません。現実はその逆であり、原因は先ほども言ったように、建前と本音のズレにあります。
まずは、皆さんに現実をしっかり見つめてほしいと思います。カネカ問題は、そのよいきっかけになるのではないでしょうか。そして目指す姿は、すでに制度ができており、男性の育休義務化も議論が始まっているので、誰もが建前としてはわかっている部分だと思います。
昭和上司だけの問題ではない
「目指す姿=どうあるべきか」に近づくためにはどうすればいいのでしょう。繰り返しになりますが、私からの提案は、第一に「生活態度としての能力」を評価基準から外すこと。多様な働き方をする人が共存する会社ではどんな評価が可能なのか、企業は今すぐ議論を始めてほしいと思います。
第二に、制度を建前で終わらせないように、本音の部分の意識を近づけていくこと。カネカ問題も定時帰り問題も、建前と本音が一致していれば起こらなかったはずです。これは“昭和上司”だけの話ではありません。日本では、女性も無意識のうちに「男は休んだりせず長時間働くべき」という考え方になりがちです。企業はもちろんそこで働く人たちにも、今こそ自らの本音を見つめ直してほしいと思います。
構成=辻村洋子 写真=iStock.com