設計士の父を追い惹かれるように工学部へ

新明さんが同社のような測量会社に入社したのは、個人事務所で複写機の設計をしていた父親の影響が背景にあったという。

子どもの頃、自宅の近くの仕事場へ行くと、父親はいつもドラフター(製図板に定規などが付いたもの)に向かい、仕事に集中していた。素早い手つきで定規を動かし、ペンをさっそうと走らせる。みるみるうちに複雑な設計図が描かれていく様子は、子どもの目にはまるで手品のように映った。

「それを見て、いつもすごいなと思っていました」

担当業務は個人ベースで動くものが多いが、時々同僚と相談し、アドバイスをもらう。

大学の工学部では橋梁について学んだが、測量の授業での成績が当時からとりわけ良かった。今から振り返れば、工学部を進学先に選んだのも、測量や設計という分野で働きたいと考えたのも、そんな父親の姿が胸に焼き付いていたからだ、という思いが彼女にはある。

「ただ、建設業界には女性の社員がまだまだ少ない時代でした。もっと昔はトンネル工事で女性が現場に入ると、山の神様を怒らせると言われたそうですが、父はそんな建設・土木の世界をよく知っていた人。就職活動の時期に志望先を相談したときは、『土木は男性社会だからおまえが担当だと言われたら、たぶんお客は不安になるだろう』とくぎを刺されたものです」

そのような業界を選べば、理不尽な思いをすることもあるかもしれない。まずはそれを覚悟すること。そして、だからこそ認められるために人一倍の努力を重ねること……。それが父親からのアドバイスだった。

「父の言葉は働き始めて以来、ずっと意識していました。特に新人の頃は技術的にできることが多くありません。だから、その分マメに先方と連絡を取って、仕事を進めるようにしていました。それまでは上司あてだったのに、そのうちに担当の方から、私にも相談の電話がかかってくるようになったんです。ちゃんと頑張れば自分でも活躍できる。そう実感したとき、絶対にこの仕事を辞めないぞと初めて心に決めたんです」