東京都避難場所の地図を作成している新明さん。業界でも少ない女性測量士として入社した頃、周囲は「どうせすぐ辞めるだろう」と思っていたというが、彼女の決意は固くなる一方だった。
八州 空間情報部 地理調査課 係長新明(しんみょう)あい●日本大学土木工学科卒業後、2001年八州に入社。最初は空中写真測量業務を担当。その後、現在の地理調査業務へ異動。12年と14年に出産、育児休暇を取得。共に復職し現在に至る。

今からさかのぼること2001年、測量関連の建設コンサルティング会社・八州に入社したとき、新明(しんみょう)あいさんは社内の雰囲気に少したじろいだ。当時、東京都渋谷区笹塚にあった「技術センター」に足を踏み入れると、狭いフロアにはさまざまな形をした測量の機器が無造作に置かれ、席のあちこちからタバコの煙が上がっていた。

「これは男の人たちの職場だなぁ」と彼女は思ったと話す。

「建設・土木の業界に入ろうと考えたときから、男性中心の世界であることは想像していました。でも、実際に目の当たりにすると、『なんかスゴいところに来ちゃった』と感じずにはいられませんでしたね」

八州は戦中の軍の「陸地測量部」の出身者が設立し、戦後復興期から測量を行ってきた歴史ある会社だ。

新田次郎の小説に『劒岳 点の記』という作品がある。近年、木村大作監督によって映画化もされた同作では、この陸地測量部の測量官が未踏峰とされていた剣岳に登頂し、三角点を設置するまでの奮闘が描かれている。

新明さんが入社した頃、同社にはまだその小説のような世界が残されていた。測量の部署には20kgを超える荷物を背負い、基準点を測るために何カ月も登山を続ける社員がいる。ときおりオフィスに戻ってくる屈強な彼らには、何とも近づき難いものがあった。

(上)全国でも女性係長は新明さんともう1人だけ。女性の新入社員は徐々に増えてきている。(下)作業着と測量CPD技術者証なども入ったIDは常に持ち歩く。

そんななか、彼女は同社のほぼ唯一の女性技術者として、空中写真をもとに地図を製作する「写真測量」の業務を担うことになった。

「いまではすべてソフトが計算してくれますが、当時は実際の写真を実体視する『空中三角測量』をしていました。何度も写真の前で実体視を続けるので、目をとても酷使する仕事です」

測量会社には「目が上がってくる」という表現があるという。

「実体視で高さをぴったりそろえようとしていると、だんだん目が疲れてきて合わせた点が地面に潜って見えてきたり、目を休ませた直後は急に位置が上がったりする。だから、実体視は休まずに一気に終える必要があるんです」

当初は慣れるまで時間がかかったが、それでも地図ができ上がるまでの時間が徐々に短縮され、受注先の官公庁の担当者から名前を覚えられていった経験は、現在の彼女の原点である。

設計士の父を追い惹かれるように工学部へ

新明さんが同社のような測量会社に入社したのは、個人事務所で複写機の設計をしていた父親の影響が背景にあったという。

子どもの頃、自宅の近くの仕事場へ行くと、父親はいつもドラフター(製図板に定規などが付いたもの)に向かい、仕事に集中していた。素早い手つきで定規を動かし、ペンをさっそうと走らせる。みるみるうちに複雑な設計図が描かれていく様子は、子どもの目にはまるで手品のように映った。

「それを見て、いつもすごいなと思っていました」

担当業務は個人ベースで動くものが多いが、時々同僚と相談し、アドバイスをもらう。

大学の工学部では橋梁について学んだが、測量の授業での成績が当時からとりわけ良かった。今から振り返れば、工学部を進学先に選んだのも、測量や設計という分野で働きたいと考えたのも、そんな父親の姿が胸に焼き付いていたからだ、という思いが彼女にはある。

「ただ、建設業界には女性の社員がまだまだ少ない時代でした。もっと昔はトンネル工事で女性が現場に入ると、山の神様を怒らせると言われたそうですが、父はそんな建設・土木の世界をよく知っていた人。就職活動の時期に志望先を相談したときは、『土木は男性社会だからおまえが担当だと言われたら、たぶんお客は不安になるだろう』とくぎを刺されたものです」

そのような業界を選べば、理不尽な思いをすることもあるかもしれない。まずはそれを覚悟すること。そして、だからこそ認められるために人一倍の努力を重ねること……。それが父親からのアドバイスだった。

「父の言葉は働き始めて以来、ずっと意識していました。特に新人の頃は技術的にできることが多くありません。だから、その分マメに先方と連絡を取って、仕事を進めるようにしていました。それまでは上司あてだったのに、そのうちに担当の方から、私にも相談の電話がかかってくるようになったんです。ちゃんと頑張れば自分でも活躍できる。そう実感したとき、絶対にこの仕事を辞めないぞと初めて心に決めたんです」

初の育休取得からの復帰。戻るたびに意欲は増した

それから10年以上が経ったいま、八州の社内の雰囲気は様変わりしている。オフィスは2度の移転を経て、新しいオフィスビルへと変わった。また、GPSやCAD、空撮写真の処理などはデジタル技術の進化によって、多くの作業がコンピュータ上で行えるようになった。そのため測量の機器は必要なくなり、近年では女性の技術者も増えている。

(左上から時計回りに)迷ったり悩んだら上司に相談。話しやすい環境。/同僚の女性と近場でランチタイム。/デスクのPCで地図作成。「以前よりPC仕事が増えました」/引き出しの一つは気分転換のお菓子をしのばせている。

そんななか、2児の母でもある新明さんは、同社における女性進出のモデルとなってきた存在でもある。妊娠と出産、そして育児。そのたびに上司や人事総務課の担当者と相談し、産休・育休制度、勤務時間の調整などの課題を段階的に乗り越えてきた。

「育児をしながら働いていると、保育園のお迎えや急な呼び出しもあります。何かあるたびに『どうしたらいいですか』と相談して、一緒に働き方を考えてもらいました。いま、うちに女性の技術者が入りやすくなってきたとすれば、そうした周囲の協力があったからだと思っています」

人事総務課の秋山泰一課長は、彼女との対話によって作られてきた制度は、自社の職場環境を形作る制度面の土台となったと語る。

「彼女との対話は女性に限らず、あらゆる社員にとって働きやすい環境を整えるきっかけになったんです」

例えば、子どもが熱を出し、保育園に迎えに行かなければならない状況がある。それがフレックスタイム制度の導入へとつながり、さらには「育児介護休業規程」の立ち上げに広がった。

「彼女の体験談は、採用のときも女性社員の実体験として、会社の制度がどのように活用されているかを伝えられるのは大きい。そのことで積極的に優秀な女性技術者を登用していけるようになったからです」

いま、4歳と1歳の子どもたちを育てながら、地理調査課の係長として彼女は働いている。業務内容は東京都の避難場所の地図の作成、さらには自治体のハザードマップに利用する大規模盛土造成地の分析などである。

「避難場所を設定していこうとするとき、小さな子どもを持つ親としての視点も役立っています」

いつかその子どもたちに、「これはお母さんが作ったんだよ」と胸を張って伝えられるような地図を、一つひとつ丁寧に作っていきたい。それが彼女の語る仕事への思いである。

(上)子どもたちと動物園や公園めぐりをするのが、休日の楽しみ。(下)2カ月に1度は子どもを親に見てもらい、夫婦でランチへ。ゆっくり話もできて、いい気分転換。

▼新明さんの24時間に密着!

6:00~8:00 起床/朝食/子どもの身支度・送迎
8:00~8:30 出社
8:30~12:00 デスクで地図作成/打ち合わせ
12:00~13:00 昼食
13:00~17:30 デスクで地図作成/打ち合わせ
17:30~18:00 退社
18:00~20:00 お迎え/夕食/子どもと遊ぶ・入浴
20:00~21:00 寝かしつけ
21:00~23:30 掃除・洗濯/夫の夕食用意/保育園準備/子どもの次の日の夕食準備
23:30~06:00 就寝