宇都宮への赴任から7カ月、驚くように数字が上がっていき、ついに支社の中のトップショップとして表彰された。

「あまりにうれしくて、宇都宮パルコの次長に電話して、『やった! もらったよ』とストレートに喜びを伝えてしまったんです」

返ってきた言葉は「バカ野郎! お礼が先だろう」。

「なんて感謝の気持ちが足りなかったんだろうと自分のダメさ加減に嫌気がさしました」

社内でマインドフルネスを推進中。自身が主催する社内座禅会や研修、朝活に参加したメンバーに配っているバッジは、ポケットマネーで作成した。

うれしいはずの夜は泣き通し。翌日、次長は休日の予定。武田さんは反省文を書いて、そっと机の上に置こうと考えた。ところが次長はなぜか出社していた。目が腫れていた武田さんを見て、「なんだ、その顔は。きのうは相当飲んだんだろう」と言葉をかけてきた。

武田さんより10歳年上の優しさ。社外にいさめてくれる人がいる幸せな境遇をかみしめた。

 

仕事をしながらガリガリかじったものは

2004年、人生最大の難事が襲いかかる。人事部人材開発課長として「社内の精鋭たちが関わる」採用業務の面白さを発見し、仕事は乗りに乗っていた。そんなとき、電話で主治医から乳がんの告知を受けた。真っ先に相談したのは身内ではなく上司。

「部長は『すぐに病院に行け』と言いましたが、『採用面接があるので』と半日仕事をつづけ、午後になって病院に出かけました」

頭の中は仕事のことばかり。その思いを主治医が「武田さん、仕事好きだよね。忙しいよね」と受け止めてくれた。相談し、がんを切除した後は体にこたえる抗がん剤を使わず、5年間の標準的なホルモン治療などを受けることに。職場には手術から3週間で復帰した。仕事は周りの協力で好調を維持。だが精神的にはきつかった。

「どうつになってしまったんです。採用面接では応募者に『いい会社だよ』『やりがいがある仕事だよ』と元気よく話すのですが、帰宅すると着替えもできず、床に座って泣き通し。夜中まで動けず、そのまま寝て、朝、シャワーを浴びて出勤という日もありました」