底抜けの明るさとポジティブな姿勢が持ち味の武田さんだが、長いキャリアの中には泣いた夜もある。とりわけ、好業績を挙げて表彰され有頂天になっていたときに、店舗のマネジャーから受けたお叱りは今も忘れられない。

業績表彰の常連がはまったワナ

クレディセゾンの取締役、武田雅子さんは1989年に東京・吉祥寺パルコのセゾンカウンターで働きはじめ、入社2年目の終わりには“史上最年少”でショップマスターに就任し、業績表彰の常連になるなど、最初からトップスピードで飛ばしてきた。

クレディセゾン 取締役 武田雅子さん●1989年入社。セゾンカウンターに配属後、全国5拠点にてショップマスターを経験。2002年営業推進部業務統括課、03年営業計画部トレーニング課と人事部人材開発課にて課長職。08年、女性初の人事部長を経て14年より現職。

95年に異動した大阪では、担当地域の地理すらわからない中、既存チャネルに頼らず毎月1000枚のカード契約を取るという、かなり無茶なプロジェクトのリーダーに。相当落ち込むこともあったが、関西2府6県をかけずり回って実績を挙げていった。

社内でも“すご腕”と称されるようになったとき、大失敗をおかしてしまう。ところは98年に転勤した宇都宮パルコのセゾンカウンター。まだ新しい施設で、ふつうなら勢いがあるはずなのに、北関東支社に属するカウンターの中で“お荷物”扱いされるほど業績は伸び悩んでいた。「今度、やり手のショップマスターが来る」という情報に、現地は戦々恐々。

「こっそり偵察に行ったら、『あの目つきの鋭い女がそうに違いない』とバレていたらしい(笑)」

垣間見た新職場は活気がなく沈んだ雰囲気。だが、宇都宮パルコには東京時代に一緒に仕事をした人が次長として店舗ナンバー2のポジションにいたので、店舗と協力体制が組めると期待できた。

「スタッフには『なんで仕事をするの?』と問いかけ、セゾンカウンターの存在意義を語りました。みんなシフト制で働いているので常に会えるわけではない。連絡ノートも活用して共有しました」

店舗や地域から期待されていること。自分たちも店舗の人たちも同じ夢を追いかけていること。ノートには仕事のストーリーがつづられていった。

さらに武田さんは見えないところで頑張っている人に光を当て、隠れた長所を見つけ出し、そこを伸ばすようにした。やがて、みんなが自分の役割に気づき、持ち味を発揮するようになる。お荷物と呼ばれたチームが活気を帯びた。

宇都宮への赴任から7カ月、驚くように数字が上がっていき、ついに支社の中のトップショップとして表彰された。

「あまりにうれしくて、宇都宮パルコの次長に電話して、『やった! もらったよ』とストレートに喜びを伝えてしまったんです」

返ってきた言葉は「バカ野郎! お礼が先だろう」。

「なんて感謝の気持ちが足りなかったんだろうと自分のダメさ加減に嫌気がさしました」

社内でマインドフルネスを推進中。自身が主催する社内座禅会や研修、朝活に参加したメンバーに配っているバッジは、ポケットマネーで作成した。

うれしいはずの夜は泣き通し。翌日、次長は休日の予定。武田さんは反省文を書いて、そっと机の上に置こうと考えた。ところが次長はなぜか出社していた。目が腫れていた武田さんを見て、「なんだ、その顔は。きのうは相当飲んだんだろう」と言葉をかけてきた。

武田さんより10歳年上の優しさ。社外にいさめてくれる人がいる幸せな境遇をかみしめた。

 

仕事をしながらガリガリかじったものは

2004年、人生最大の難事が襲いかかる。人事部人材開発課長として「社内の精鋭たちが関わる」採用業務の面白さを発見し、仕事は乗りに乗っていた。そんなとき、電話で主治医から乳がんの告知を受けた。真っ先に相談したのは身内ではなく上司。

「部長は『すぐに病院に行け』と言いましたが、『採用面接があるので』と半日仕事をつづけ、午後になって病院に出かけました」

頭の中は仕事のことばかり。その思いを主治医が「武田さん、仕事好きだよね。忙しいよね」と受け止めてくれた。相談し、がんを切除した後は体にこたえる抗がん剤を使わず、5年間の標準的なホルモン治療などを受けることに。職場には手術から3週間で復帰した。仕事は周りの協力で好調を維持。だが精神的にはきつかった。

「どうつになってしまったんです。採用面接では応募者に『いい会社だよ』『やりがいがある仕事だよ』と元気よく話すのですが、帰宅すると着替えもできず、床に座って泣き通し。夜中まで動けず、そのまま寝て、朝、シャワーを浴びて出勤という日もありました」

そのとき付けていた日記を読み返すと「死にたい」とか「死ぬ準備しなきゃ」という言葉が並ぶ。

「自分が書いたとは思えません。主治医にホルモン治療の副作用ではないかと確かめ、精神科にかかって抗うつ剤をガリガリかじりながら仕事をつづけました」

心身ともに厳しい状況だったが、ホルモン治療は5年間で終わる。それとともに、うつもなくなると予想ができた。ならば、この貴重な体験をしているうちにそれを役立てようと考え、産業カウンセラーの資格を取るため週末はスクールに通いはじめる。

すると「自分のつらさを話したくて入った」患者会から「手伝って」と言われ、社内からは「メンタルに詳しいんだったら、採用面接でどう振る舞ったらいいか教えて」と声がかかるように。

「自分の経験が誰かの役に立つと思うと、うれしかったですね」

そのときの経験が、他者をリスペクトするという現在の武田さんのスタンスにつながっている。

「最近よく言うのが、社員に過保護になるのではなく大人扱いし、どんどんやらせること。社員面談やがん患者支援のボランティアを通じ、どんな環境にあっても、人はみな成長する強さを持っていることを確信したからです。社員も厳しい環境でこそ自立する。宇都宮のときのように、いい意味で裏切ってくれるシーンをたくさんつくりたいと思っています」

【写真上から順に】大阪へ転勤。慣れない土地でゼロリセットされた気分に/営業計画部トレーニング課と人事部人材開発課の課長を兼務/取締役就任

■武田さんの経歴

1989年(21歳)入社。セゾンカウンターに配属
1990年(22歳)吉祥寺パルコ ショップマスター
1995年(27歳)関西営業所
1998年(30歳)宇都宮パルコ ショップマスター
2001年(33歳)本社へ異動/翌年、課長に昇格
2003年(35歳)営業計画部トレーニング課と人事部人材開発課の課長を兼務
2004年(36歳)がん告知、治療スタート
2008年(39歳)人事部長
2014年(46歳)取締役就任

■Q&A

 ■好きなことば 
全機現(ぜんきげん)(禅の言葉で、すべての機能、能力が発揮されているさま)

 ■趣味 
瞑想(めいそう)、断食

 ■ストレス発散 
仲間との食事

 ■愛読書 
『リーダーは自然体』増田弥生、金井壽宏著