底抜けの明るさとポジティブな姿勢が持ち味の武田さんだが、長いキャリアの中には泣いた夜もある。とりわけ、好業績を挙げて表彰され有頂天になっていたときに、店舗のマネジャーから受けたお叱りは今も忘れられない。
業績表彰の常連がはまったワナ
クレディセゾンの取締役、武田雅子さんは1989年に東京・吉祥寺パルコのセゾンカウンターで働きはじめ、入社2年目の終わりには“史上最年少”でショップマスターに就任し、業績表彰の常連になるなど、最初からトップスピードで飛ばしてきた。
95年に異動した大阪では、担当地域の地理すらわからない中、既存チャネルに頼らず毎月1000枚のカード契約を取るという、かなり無茶なプロジェクトのリーダーに。相当落ち込むこともあったが、関西2府6県をかけずり回って実績を挙げていった。
社内でも“すご腕”と称されるようになったとき、大失敗をおかしてしまう。ところは98年に転勤した宇都宮パルコのセゾンカウンター。まだ新しい施設で、ふつうなら勢いがあるはずなのに、北関東支社に属するカウンターの中で“お荷物”扱いされるほど業績は伸び悩んでいた。「今度、やり手のショップマスターが来る」という情報に、現地は戦々恐々。
「こっそり偵察に行ったら、『あの目つきの鋭い女がそうに違いない』とバレていたらしい(笑)」
垣間見た新職場は活気がなく沈んだ雰囲気。だが、宇都宮パルコには東京時代に一緒に仕事をした人が次長として店舗ナンバー2のポジションにいたので、店舗と協力体制が組めると期待できた。
「スタッフには『なんで仕事をするの?』と問いかけ、セゾンカウンターの存在意義を語りました。みんなシフト制で働いているので常に会えるわけではない。連絡ノートも活用して共有しました」
店舗や地域から期待されていること。自分たちも店舗の人たちも同じ夢を追いかけていること。ノートには仕事のストーリーがつづられていった。
さらに武田さんは見えないところで頑張っている人に光を当て、隠れた長所を見つけ出し、そこを伸ばすようにした。やがて、みんなが自分の役割に気づき、持ち味を発揮するようになる。お荷物と呼ばれたチームが活気を帯びた。