打ち砕かれた、日本の価値観
宮さんは当時のことを今も生々しく振り返る。
「パナマへ行って、自分のやり方が全て打ち砕かれるようでした。僕には“体操指導はこうあるべき” “練習の積み重ねが結果を出す”という固定観念があったんです。しかし選手たちは、練習がキツいとサボる、休む……パナマのゆったりとしたラテンの国民性が、僕のミッションや強い思いとズレていた。結果を求める上層部との板挟みの中、日本のやり方を押し付けてもうまくいかない、と考えました」
もっと困ったこともあった。試合に出たくても、会場への交通費がない。事前の打ち合わせ通りに事が進まないのだ。宮さんが自腹を切って連れて行くこともしばしばだった。
「葛藤がありました。そこまで厳しく体操を教えても、彼らの生活を経済的に支えるものにはならない。生きていくために、体操を辞めなければならない子もいました」
どこまでやる意味があるんだろう、と思い悩みながら体操を教える宮さんを支えたのは、子供たちのキラキラした瞳だった。
「水も電気も通っていない田舎に行って、僕がバック転をするだけで目を輝かせて大喜びしてくれる子供たちがいる。その顔を見ると、体操の力ってやっぱりあるなと思えたんです」
あきらめず、情熱で築いた信頼関係
宮さんは当時23歳。「その頃のブログを読み返すと、情熱的です。教え子たちには、続けること、我慢することの大切さを教えたかった。結果、パナマの体操協会を変えるに至ったんですが、それは僕を信頼してついてきてくれた、みんなの功績です。協力隊は変えるきっかけをつくる、僕らは種をまくだけ。それを実らせていくのは現地の人たちなんですよね」
彼の任期終了後、思いは継承されて、パナマ体操界に意識の変化をもたらした。当時の教え子の中には、大会で結果を残す人、国際審判の資格を取って活躍する人も出てきているらしい。
そしてそれらの経験は今、シルク・ドゥ・ソレイユにおける、宮さんのチーム運営にも生きている。
シルク・ドゥ・ソレイユ アーティスト。大学卒業後、2004年に青年海外協力隊員としてパナマに赴任。2009年にシルク・ドゥ・ソレイユに入団。『トーテム』ツアーショーは2010年4月から始まるが、その8ヶ月前から『トーテム』のクリエイションにたずさわり、(オープニング演目の)「カラペース」のキャプテン兼コーチをつとめる。トーテムのロゴマークの“T”マークは宮海彦さん。
大阪府大阪市生まれ。スポーツニッポン新聞大阪本社の新聞記者を経てFM802開局時の編成・広報・宣伝のプロデュースを手がける。92年に上京して独立、女性誌を中心にルポ、エッセイ、コラムなどを多数連載。俳優、タレント、作家、アスリート、経営者など様々な分野で活躍する著名人、のべ2000人以上のインタビュー経験をもつ。著書には女性の生き方に関するものが多い。近著は『一流の女(ひと)が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など。http://moriaya.jimdo.com/
ヒダキトモコ
写真家、日本舞台写真家協会会員。幼少期を米国ボストンで過ごす。会社員を経て写真家に転身。現在各種雑誌で表紙・グラビアを撮影中。各種舞台・音楽祭のオフィシャルカメラマン、CD/DVDジャケット写真、アーティスト写真等を担当。また企業広告、ビジネスパーソンの撮影も多数。好きなたべものはお寿司。http://hidaki.weebly.com/
撮影=ヒダキトモコ