シルク・ドゥ・ソレイユ日本公演『トーテム』の幻想的で力強いパフォーマンス。その舞台に立ち、さらにコーチとして多国籍のチームを率いる人物が日本人だってご存じでしたか? 筋骨隆々の胸板と、クレバーな語り口とのギャップが魅力の宮海彦さん。時に強く、時にしなやかな彼の流儀には、周囲を巻き込んでいく不思議なパワーがありました。『トーテム』のバックステージから、宮さんのインタビューをお届けします。
カエルが憑依している!? アクロバティックな演技に注目
人間の身体能力を極限まで魅せて、最高のエンターテインメントにするシルク・ドゥ・ソレイユ。2010年の初演以来7カ国で公演され、現在、東京で公演中の『トーテム』は、“不可能を可能にする人類の進化”をテーマに、この3月で公演数2000回を数えた。
この『トーテム』で日本人として初めて、ポスターなどを飾る公演ロゴに起用されたのが、演目「カラペース」のアーティストであり、キャプテン兼コーチを務める宮海彦さんだ。亀の甲羅をイメージした舞台装置を、軽やかに飛び跳ねるカエルを演じている。そのパフォーマンスは躍動感にあふれ、ユーモラスだ。
「公演ロゴに起用されたことは本当にうれしかったですね。みんなが同じポーズで撮影していたのですが、公演タイトルのお披露目まで何の目的で撮影されたのか、分からなかったんです。『トーテム』の演出家、ロベール・ルパージュに選ばれた理由を聞いたら、『ウミはステージ・プレゼンス(存在感)がある』と言われました。その評価はありがたかったです」
宮さんが出演する演目、「カラペース」のパフォーマンスはおよそ4分半。「アーティストになってはじめて、ステージに立つだけでエネルギーが放たれる、という感覚を知りました」
シルク・ドゥ・ソレイユに入団したのは2009年。『トーテム』の初演からのアーティストだ。世界ツアーと自分の旅を合わせると、これまで18カ国を旅してきたことになるという。
「幼い頃から、旅が好きでした。旅って、知らないことを知ることができる。見知らぬ相手を知ることができるし、自分自身を知ることもできますから」
冒険心が強いのは両親の影響だろうか?
「中学の卒業文集に10年後の自分について『普通のサラリーマンにはなっていない』と書いていたくらいですからね。親父が仕事人間で、理系の技術者だったので、反面教師でそうなったのかもしれません」
笑いながら答える宮さんだが、父親譲りの仕事への情熱と責任感は、受け継いでいるようだ。
インターハイ種目別優勝。それでもオリンピックは遠かった
宮さんは昔から、周囲に気を配る性格だったという。
「クラスに変わった子がいると、仲間はずれにされるじゃないですか。僕はそういう子にこそ興味をもって、仲良く接するようなところがあったようです。そこは母親に似ているかな。母は人を放っておけない、そんな人なんですよ」
共働きの両親は忙しく、彼が5歳になると体操クラブに入れた。オリンピック選手をたくさん輩出している「朝日生命体操クラブ」だ。
「当時の自分は体操を始めた、という記憶がないくらいの幼さですからね。『何か習い事を』という感じだったとは思うのですが、伝統のある厳しいクラブで、僕も自然とオリンピックを目指すようになりました。ただ両親は文武両道が基本で教育に厳しく、成績が下がるなら体操は止めなさいとも言われていました」
努力の甲斐あって、1999年のインターハイは跳馬で優勝。しかし、アスリートとして体操で生きていけるとは思えず、大学は経営学部を選んだ。
普通のサラリーマンにはなりたくない
中米・パナマで体操のナショナルチームを指導
「本当は政治経済に興味があったんです。もともと普通のサラリーマンにはなりたくなかったので、大学卒業後に、海外青年協力隊の体操隊員として、中米・パナマに渡りました。そこでは今までの価値観が全て揺らぐ程の経験をしました。でも、得たものは大きかったですね」
パナマでは、小さい子供からナショナルチームまでの指導をしていた。 しかしそこで、文化の違いから、今まで培った経験や価値観が全く通用しない、という洗礼を受けることになる。体操協会の上層部と指導の現場、さらに彼の「こうしたい!」という3つの歯車が、噛み合わなかったのだ。
打ち砕かれた、日本の価値観
宮さんは当時のことを今も生々しく振り返る。
「パナマへ行って、自分のやり方が全て打ち砕かれるようでした。僕には“体操指導はこうあるべき” “練習の積み重ねが結果を出す”という固定観念があったんです。しかし選手たちは、練習がキツいとサボる、休む……パナマのゆったりとしたラテンの国民性が、僕のミッションや強い思いとズレていた。結果を求める上層部との板挟みの中、日本のやり方を押し付けてもうまくいかない、と考えました」
もっと困ったこともあった。試合に出たくても、会場への交通費がない。事前の打ち合わせ通りに事が進まないのだ。宮さんが自腹を切って連れて行くこともしばしばだった。
「葛藤がありました。そこまで厳しく体操を教えても、彼らの生活を経済的に支えるものにはならない。生きていくために、体操を辞めなければならない子もいました」
どこまでやる意味があるんだろう、と思い悩みながら体操を教える宮さんを支えたのは、子供たちのキラキラした瞳だった。
「水も電気も通っていない田舎に行って、僕がバック転をするだけで目を輝かせて大喜びしてくれる子供たちがいる。その顔を見ると、体操の力ってやっぱりあるなと思えたんです」
あきらめず、情熱で築いた信頼関係
宮さんは当時23歳。「その頃のブログを読み返すと、情熱的です。教え子たちには、続けること、我慢することの大切さを教えたかった。結果、パナマの体操協会を変えるに至ったんですが、それは僕を信頼してついてきてくれた、みんなの功績です。協力隊は変えるきっかけをつくる、僕らは種をまくだけ。それを実らせていくのは現地の人たちなんですよね」
彼の任期終了後、思いは継承されて、パナマ体操界に意識の変化をもたらした。当時の教え子の中には、大会で結果を残す人、国際審判の資格を取って活躍する人も出てきているらしい。
そしてそれらの経験は今、シルク・ドゥ・ソレイユにおける、宮さんのチーム運営にも生きている。
シルク・ドゥ・ソレイユ アーティスト。大学卒業後、2004年に青年海外協力隊員としてパナマに赴任。2009年にシルク・ドゥ・ソレイユに入団。『トーテム』ツアーショーは2010年4月から始まるが、その8ヶ月前から『トーテム』のクリエイションにたずさわり、(オープニング演目の)「カラペース」のキャプテン兼コーチをつとめる。トーテムのロゴマークの“T”マークは宮海彦さん。
大阪府大阪市生まれ。スポーツニッポン新聞大阪本社の新聞記者を経てFM802開局時の編成・広報・宣伝のプロデュースを手がける。92年に上京して独立、女性誌を中心にルポ、エッセイ、コラムなどを多数連載。俳優、タレント、作家、アスリート、経営者など様々な分野で活躍する著名人、のべ2000人以上のインタビュー経験をもつ。著書には女性の生き方に関するものが多い。近著は『一流の女(ひと)が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など。http://moriaya.jimdo.com/
ヒダキトモコ
写真家、日本舞台写真家協会会員。幼少期を米国ボストンで過ごす。会社員を経て写真家に転身。現在各種雑誌で表紙・グラビアを撮影中。各種舞台・音楽祭のオフィシャルカメラマン、CD/DVDジャケット写真、アーティスト写真等を担当。また企業広告、ビジネスパーソンの撮影も多数。好きなたべものはお寿司。http://hidaki.weebly.com/