ベネズエラ生まれのオペラ歌手・コロンえりかさんは、これまでの半生を振り返って「名前の通り七転び八起き。いろんなところで転んでいます」と楽しそうに話す。明るく華やかな笑顔が印象的なコロンさんだが、小学生時代に過酷ないじめを受け「どん底からのスタート」だったという。ライターの山本奈朱香さんが取材した――。(前編/全2回)
2015年に出演した、野田秀樹さん演出、井上道義さん指揮によるオペラ「フィガロの結婚」の1場面
写真=本人提供
2015年に出演した、野田秀樹さん演出、井上道義さん指揮によるオペラ「フィガロの結婚」の一場面

初舞台は6歳のとき

コロンさんは、作曲家であるベルギー人の父親と、声楽家である日本人の母親の元にベネズエラで生まれた。幼い頃から音楽が大好きで、6歳のときに両親のリサイタルで詩を朗読したのが初舞台。リサイタル前日に両親のどちらが朗読するかで揉めているのを見て、コロンさんが「私がやります!」と宣言したのだという。

リサイタルは大成功で、新聞に記事が載った。「家族が助け合う延長線上に音楽も舞台もあった。私にとっては、すごく自然なことだったんです」

2歳ごろのコロンさん
写真=本人提供
2歳ごろのコロンさん

日本の学校で受けた壮絶ないじめ

1990年、10歳のとき、永住するため家族で来日。ベネズエラでは家でもスペイン語で会話していたため日本語は得意ではなく、読み書きはほとんどできなかった。

舞台に立つ9歳のコロンさん。両親の舞台で朗読をしたり、歌を歌ったりしていた
舞台に立つ9歳のコロンさん。両親の舞台で朗読をしたり、歌を歌ったりしていた(写真=本人提供)

ただ、言葉の壁以上に「日本人になること」のプレッシャーに苦しんだという。日本国籍を取得するために市役所に行くと「日本人なら印鑑が必要だから、日本語の名前にしたほうがいい。そうしたほうが、いじめられないで済みますよ」と言われた。それまで使っていた父親の姓「コロン」から母親の旧姓に変えた。

学校では「命を落とす一歩手前」というほどのいじめを受けた。洋服に火をつけられたこともある。弟は殴る蹴るの暴行を受けて脊髄にひびが入った。職員室の前での出来事だったが、コロンさんが助けを求めるまで誰も止めてくれなかった。その日の夜、自宅を訪れた教育委員会の人は「このことは内密に」と言ったという。

「いま考えると、外国人のような顔をした子どもが学校に入ってくるのが初めてだったのだと思います。時代的に『みんなと同じが良い』という価値観があったのだと思う」

小学校高学年の頃は、「ストレスから円形脱毛症や自律神経失調症を発症し、体も心もボロボロ。息をするので精一杯という感じだった」と振り返る。涙を流す母親に手をひかれ、海に入りかけたこともある。そのことを両親と話したことはないものの、心中を考えていたのでは……と思っている。

この時期は、大好きだった音楽を楽しむこともなくなっていた。