「日本人らしさ」から解放されたロンドン生活
26歳でロンドンへ。周囲は音楽をしっかり学んだ経験のある学生ばかり。ついていくのに必死だったものの、楽しくて仕方がなかったという。歌いすぎは喉に良くないと知りつつも、6時間でも7時間でも練習を続けた。授業の空き時間にはナショナルギャラリーなどの美術館をまわった。フランスやイタリアが近く、音楽家の偉人たちの住んでいた家もあちこちに残っている。「音楽のお風呂に浸かっているような感じ。やっと音楽のことだけを考えて過ごせて、本当に幸せでした」
「日本人らしさ」から解放されたことも心地よかった。ロンドンの街中にいると、さまざまなアクセントの英語が聞こえてくる。学校にも多国籍の留学生がいて、「いろんな国の人がいろんな方向に興味を持っている。私も『このままで大丈夫』と思えた」。
王立音楽院では「若い音楽家に出演してほしい」という依頼があちこちからあり、コロンさんもフランスやキプロスなどに行った。卒業してプロになった先輩たちはほぼ1カ月ごとに各地のオペラハウスを回っていた。自宅にはほとんど帰らない生活で、家庭を持つのは難しそう。「アートに人生を捧げる」というのは、こういうことなのだな。日本には帰国せず、歌に身を捧げる人生を選ぼうと考えていた。
ソプラノ歌手から大使の妻へ
だが、その頃にパートナーとなる男性に出会った。日系2世のベネズエラ人で外交官の彼と結婚すると、思い描いていたソプラノ歌手の活動はできなくなるだろう。でも、幼い頃に幸せな記憶を育んでくれたベネズエラという国を多くの人に知ってもらい、人と人を繋ぐことができるかもしれない。大きな葛藤を抱えつつも、新たな生活に飛び込んだ。
大使の妻としての仕事は多岐にわたる。皇室行事や各国大使館の記念式典などがほぼ毎日のようにあり、広島や長崎の平和記念式典にも参列する。小学校を訪れてベネズエラについての講演をすることもある。
10年前には、女性の駐日大使と大使夫人が参加するコーラスグループを設立。米国とパレスチナの大使夫人が一緒に歌うこともあり、「国の事情や政治的な立場が異なっていても、歌のもとでは裸の人間になれる。そのことを見てもらうのが大事ではないかと思っています」
2017年からはさらに新たな活動を始めた。耳の聞こえない子どもたちも一緒に演奏する楽団「ホワイトハンドコーラス」だ。大学生のときに訪れたろう学校での経験がきっかけだった。
後編に続く
京都生まれ。小学生の3年間をペルーで過ごす。大学院修了後に半年間バックパッカーで海外をめぐった後、2006年に朝日新聞社入社。青森総局、東京社会部、文化くらし報道部などを経て2023年に退社。関わった書籍は『「小さないのち」を守る』『Dear Girls』『平成家族』『調理科学でもっとおいしく定番料理』(いずれも朝日新聞出版)。ヨガインストラクターとしても活動。