子どもと一緒に新幹線出張
神戸大学からカルビーに戻り、3年後、体の調子が悪くて、おかしいな、運動不足かなと思う時期がありました。病院で調べてもらったら妊娠していました。それまで私は東京、夫は関西で仕事をしていましたので、別居結婚の形でした。当初は本社に戻る予定でしたが、子どものためには夫婦が一緒に暮らしたほうがいいだろうと考え、会社にお願いして、近畿カンパニーで働かせてもらうことになります。
03年に出産し、05年に育児休暇が明けて仕事に戻ったときは、経営企画の部署に席を置きました。あのころはデスクトップパソコンが主流で、基本は紙媒体で保存していたので、ファイリングなどの仕事を担当しました。
初めは、日本語が話せない自分に驚きました。赤ちゃんとばかり話していたので、職場の雰囲気に慣れるのに精いっぱいだったのです。毎日資料を閉じてばっかりの仕事でいいのかなと思うこともありました。他方、今までマーケティングしか知らなかったので、経営企画や財務の仕事にも触れられて、良い勉強になったとも思います。その後、マーケティングのポストが空いたので、そこに移ります。
06年に2人目を産み、07年に復帰します。1人目の育休中に、上司から課長職のテストを受けたらどうかと勧められ、課長になっていました。その頃、育児で時短勤務をとる課長はいなかったと思います。
課長になると出張があります。幸い、行先は東京本社が多く、子どもと一緒に新幹線に乗り、東京の実家に子どもを預けていました。実家がムリなときは東京駅の近くの保育所で一時預かりです。近畿カンパニーの工場から東京本社に直行で出張するときは、いつも預けている保育所まで迎えに行く時間がありません。そんなときは、大阪駅の上にある一時預かりの保育所にお願いし、また、工場の応接室を借りることもありました。
社内のメンバーの理解も得ながら、関西と東京を行き来しました。子どもはだんだん「新幹線に乗るのは嫌だ」と言うようになりました(笑)。少し年齢が上がると乗り物酔いが起きるようです。