自分の未熟さを痛感

カルビー 執行役員 福山知子さん

私は上司に対しても、リサーチは自分のほうがよく知っていると思っていましたが、一方で、この先マーケッターとして生きていくなら、学問としてのマーケティングの専門知識が必要だと思い始めていました。自分が次のステージに進むための勉強をする必要があると思ったのです。

いまはありませんが、その頃は社内留学制度がありましたので、これはチャンスだと思い、神戸大学でMBAを取る機会をもらいました。それに伴って所属も東京本社から当時の近畿カンパニーに移してもらいます。

ビジネススクールに行き、「世間にはこんな素晴らしい人たちがいっぱいいるんだ」「自分は井の中の蛙だったな」と目が覚めました。私は30歳を過ぎたところでしたが、周りは40代の人も多く、マネジメントの経験が豊富な人がたくさんいます。その人たちから自分の考えの浅さを思い知らされました。また、ゼミの研究で「マネジメントは管理することじゃない。部下の能力をいかに引き出すかだ」と気づき、自分の未熟さを痛感したのです。

1年半仕事を外してもらい、MBAを取ったあとにカルビーに帰るときは、マネジメントが変わったかは私自身にはわかりませんが、上司が言うことを理解できるようになっていました。いま振り返っても、自分は嫌な部下だったなと思います。

子どもと一緒に新幹線出張

神戸大学からカルビーに戻り、3年後、体の調子が悪くて、おかしいな、運動不足かなと思う時期がありました。病院で調べてもらったら妊娠していました。それまで私は東京、夫は関西で仕事をしていましたので、別居結婚の形でした。当初は本社に戻る予定でしたが、子どものためには夫婦が一緒に暮らしたほうがいいだろうと考え、会社にお願いして、近畿カンパニーで働かせてもらうことになります。

03年に出産し、05年に育児休暇が明けて仕事に戻ったときは、経営企画の部署に席を置きました。あのころはデスクトップパソコンが主流で、基本は紙媒体で保存していたので、ファイリングなどの仕事を担当しました。

初めは、日本語が話せない自分に驚きました。赤ちゃんとばかり話していたので、職場の雰囲気に慣れるのに精いっぱいだったのです。毎日資料を閉じてばっかりの仕事でいいのかなと思うこともありました。他方、今までマーケティングしか知らなかったので、経営企画や財務の仕事にも触れられて、良い勉強になったとも思います。その後、マーケティングのポストが空いたので、そこに移ります。

06年に2人目を産み、07年に復帰します。1人目の育休中に、上司から課長職のテストを受けたらどうかと勧められ、課長になっていました。その頃、育児で時短勤務をとる課長はいなかったと思います。

課長になると出張があります。幸い、行先は東京本社が多く、子どもと一緒に新幹線に乗り、東京の実家に子どもを預けていました。実家がムリなときは東京駅の近くの保育所で一時預かりです。近畿カンパニーの工場から東京本社に直行で出張するときは、いつも預けている保育所まで迎えに行く時間がありません。そんなときは、大阪駅の上にある一時預かりの保育所にお願いし、また、工場の応接室を借りることもありました。

社内のメンバーの理解も得ながら、関西と東京を行き来しました。子どもはだんだん「新幹線に乗るのは嫌だ」と言うようになりました(笑)。少し年齢が上がると乗り物酔いが起きるようです。

来た船に乗ってみたらいい

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仕事道具:愛用しているペンは、お嬢さんからのプレゼント。手帳は、たっぷり書き込めるA5サイズ。

小さな子どもを抱えてマネジメントの仕事をしている、あるいは管理職のオファーを受けて悩んでいる女性はたくさんいると思います。私からのアドバイスは2つです。1つは「権限移譲」です。

あまり1人でパンパンにならず、上司やメンバーに事情を話してお互いに仕事をシェアしてほしいと思います。男性でも最近は介護を抱えて大変な人もたくさんいるので、そういう状況の中で、お互いに何ができるかを考えればいいのではないでしょうか。もっとも私の場合は、権限移譲じゃなくて、放任主義とも言われましたが(笑)。

もう一つのアドバイスは、とりあえず「来た船は乗ってみよう」です。

ポジションが上がれば見える景色も違いますし、マネジメントになれば自分で会議の時間を設定できるなど、子育てには有利かもしれません。私は出世したいと望んだことはありませんでしたが、目の前に船が来たときは乗ろうとしてきました。乗ってみてダメなら降りれば良いのです。