3人欲しいけれど……

当時の親たちが幸運だったのは、とても若かったことだ。1960年代前半の初婚平均年齢は男性が27歳、女性が24.5歳くらいで、この年齢は、人生で最も妊娠、出産に適している。だから妊娠しようと思えば、通常は、あっという間にパパ、ママになることができた。

この時代は、一見、出産率が非常に安定していて少子化に悩む現代とは正反対に見える。日本には、合計特殊出生率が「2.0~2.1」というけっこうな値のまま実に20年近くも安定していた時期があるが、東京オリンピックは、その真ん中で開催されている。

しかし、東京オリンピックの頃に結婚した若い夫婦たちは、実は、子ども数を増やさないように慎重になり始めたジェネレーションだった。

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夫婦の完結出生児数(人)

国の調査「出生動向基本調査」では、夫婦の最終的な子ども数を知るために、結婚後15~19年経った初婚の夫婦の子ども数「完結出生児数」を調べている。それによると、団塊の世代を出産した戦後の夫婦は3人以上の子どもを持つことも多かったようだが、1970年代に産み終わった世代から現在の水準になっている。

希望の子ども数を聞くと、今も昔も「3人欲しい」という人が多い。しかし、なかなか踏み切れない人が多い状態は続き、しかもますます悪化しながら今に至っている。

「出産や育児を助けてくれる身近な人が、いつのまにか消えている」
「子どもひとり育て上げるのにお金がかかりすぎる」

オリンピックで沸いた50年前に定着してしまった、そうした不安が理由かもしれない。時代を後戻りすることはできないが、あの時代に豊かさと引き替えに失ったもの、新たに背負ったものについて新しい方法を真剣に考えない限り、次の50年もまた同じことが続くだろう。

河合 蘭(かわい・らん)
出産、不妊治療、新生児医療の現場を取材してきた出産専門のジャーナリスト。自身は2児を20代出産したのち末子を37歳で高齢出産。国立大学法人東京医科歯科大学、聖路加看護大学大学院、日本赤十字社助産師学校非常勤講師。著書に『卵子老化の真実』(文春新書)、『安全なお産、安心なお産-「つながり」で築く、壊れない医療』、『助産師と産む-病院でも、助産院でも、自宅でも』 (共に岩波書店)、『未妊-「産む」と決められない』(NHK出版生活人新書)など。 http://www.kawairan.com