出産のかたちが激変した60年代

病院出産と自宅出産の比率が逆転したのは、オリンピックの5年前に当たる1959年だ。その翌年の1960年には、お見合い結婚より、恋愛結婚の方が多くなった。

50年代生まれの日本人は、お見合いで結婚した両親から、お産婆さんの介助により自宅で生まれ、野山で遊んで育つ日本人が多かった。これが団塊の世代の人たちが生まれ育った時代だ。それがわずか10年くらいで日本の親は激変した。1960年前後からは、町に住む恋愛結婚の両親から、病院で生まれてくる日本人が多数派になってくる。

東京オリンピックはそんな新しい出産、子育ての風景が定着していく中で開催された。

地縁や家族の助けを頼みにくくなったこの時代に、豊かさを増したのはモノだった。各家庭に家電製品が次々にそろっていき、東京オリンピックでは、テレビの普及率が上がったと言われている。子どもたちは、企業戦士である父親とは遊べなかったが、オリンピックの前年に始まった「鉄腕アトム」を始めとする傑作アニメーションの数々に魅了され、その時間帯にCMが流れる玩具をねだった。

ただ、子どもたちは、いつまでもテレビを見ていられるわけではなかった。学習塾が登場したのも、1960年代だった。わが子を「エリート」にしたいと必死になる母親たちは、「教育ママ」と呼ばれた。

大学進学率は、1960年代から1970年代なかばにかけて驚異的に伸びた。1960年には約1割しかなかったのに、たった15年間のうちに男の子では4割に達し、これは現在の5割と大して変わらない。東京オリンピックの時代は、子どものために支払うお金がふくれあがっていく時代でもあった。