複雑な構造問題

欧米の企業は、従業員一人ひとりの仕事の範囲、各労働者にとっての「私の仕事」の範囲や責任が明確に定義されています。

だから、トップの経営判断でその仕事がなくなったり、労働者の能力不足でそのミッションが果たせなければ、解雇ができる。

かたや、日本の会社の場合、契約書にあなたの仕事はコレだとは1行も書かれていません。

なぜか?

きっと、そのほうが、かつては労働者の使い勝手がよかったからでしょう。

よく、日本の会社員は「三無」だと言われます。

仕事内容が選べない。勤務地が選べない。勤務時間が選べない……。

なぜ、三無だったかといえば、会社がその時々の経営判断、産業の盛衰に合わせて、社内で人材を入れ替えることで、世の変化に対応してきたから。

これをいちいち、外部から人員を補強していたら手間がかかって仕方がないし、その人材をトレーニングするのにも時間がかかってしまいます。

そういった意味で、社員の異動、転勤が自由自在という状況は、会社にとっても、利点があったはずです。

その代わり、労働者側は、専門性が育たない、転勤が多過ぎて共働きができないといったデメリットも引き受けてきた。

一方で、会社側は、労働者本人の能力不足や経営判断で、今の仕事が出来なくなっても、別の仕事をあてがう解雇回避努力義務が課せられてきたのです。

このような理由から、「働かないオジサン」はたとえ「自分の仕事」がなくなっても、「他の仕事」をあてがわれるまで、宙に浮いたままという状況が続いているのだと思います。

このように、「働かないオジサン問題」は、個人、個人が努力しない、ずうずうしいといった性質上の問題というよりは、より複雑な構造問題なのだ、と私は考えます。

佐藤留美
1973年東京生まれ。青山学院大学文学部教育学科卒。出版社、人材関連会社勤務を経て、2005年、企画編集事務所「ブックシェルフ」を設立。20代、30代女性のライフスタイルに詳しく、また、同世代のサラリーマンの生活実感も取材テーマとする。著書に『婚活難民』(小学館101新書)、『なぜ、勉強しても出世できないのか? いま求められる「脱スキル」の仕事術』(ソフトバンク新書)、『資格を取ると貧乏になります』(新潮新書)、『人事が拾う履歴書、聞く面接』(扶桑社)、『凄母』(東洋経済新報社)がある。東洋経済オンラインにて「ワーキングマザー・サバイバル」連載中。