社長の後ろには誰もいない

マーケティング部門には合計すると8年近く従事し、その後広報に異動して経営職となりました。マーケティングから広報へ。またゼロからのスタートです。当初は戸惑いました。特に経営職になり初めてメンバーを持つようになったときはリーダーシップやマネジメントについてもずいぶん悩みました。

けれどマーケティングでゼロからいろいろ学んだこと、たくさんの失敗をしたことが私の強みになったように思います。広報など初めての仕事も、その後に経験する経営者としての仕事も、マーケティングのフレームワークで捉えていけるようになったからです。

例えば広報では報道を通じお客様に何を伝え、どう感じていただきたいのか。そのためにどうターゲットを考えどんなシナリオを描くべきか。

新商品発売のリリースひとつにとっても、単純に5W1Hの情報提供だけではなく、消費行動にこんな変化が起きているのでこんな商品が求められている、というストーリー性を織り込んでいく。もちろんコンセプトワークも必要になります。自分たちの主張したいことだけを発信する広報では記者の皆さんの心も動かないでしょうし、お客様に届きません。

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坪井さんのキャリア年表

キリンビバレッジに2度目の出向をし広報部長を経て、2010年3月に商業施設である横浜赤レンガの社長に就任しました。横浜赤レンガでの経験もまた私にとって大きな財産となりました。

横浜赤レンガではそこで働くたくさんのスタッフ全員が「横浜赤レンガ大好き」と自信を持って言います。横浜赤レンガはひとつのブランドです。ブランドを強くするうえでの出発点は、はたらくメンバーがブランドに強い愛着を持ち、ブランドをよくするために一人ひとりが一生懸命考えていることだと強く感じました。

忘れられないできごとのひとつは東日本大震災です。建物の構造から地震の揺れは大きくなかったのですが、津波警報が発令され、施設を緊急閉館するかどうかの決断を迫られました。商業施設ですから判断を誤るとテナントとの補償問題になりかねません。

「どうしますか、社長」と防災センターに集合したメンバーたちが全員私のほうを向き、尋ねてきます。地震の直後は情報が少なくこれほどの大きな厄災と想像もつきませんでしたが、とにかくお客様と従業員の安全を第一と考え、緊急の閉館を決めました。

このとき改めて思い知らされたのは、社長の後ろには誰もいないということ。怖くても自分で決めなければならないということでした。