「朝見の儀」は必要
しかし、養子制度がすでに法的に成立している以上、実務にあたる宮内庁としては、新制度に対する最低限の手当てをしないわけにはいかない。
具体的には、万が一養子縁組が成立した場合、皇室典範改正法ではその養子は皇族となる。
ならば、皇室の一員としての生活や活動を開始するに当たって、これまで民間から皇族妃を迎えた場合と同じように、天皇皇后両陛下に公式にご挨拶をするのが当然のマナーだ。それが「朝見の儀」だ。これは養子にも必要なはずだ。
妃殿下ならその前に、宮中三殿での「結婚の儀」がある。これは、わかりやすく言えば、ご結婚に際しての、皇室のご先祖や皇室が祀っておられる神々への丁重なご挨拶だ。養子も、そのご挨拶を欠いて皇室のメンバーに加わることは、非礼にあたる。
だから、宮内庁が新儀式の検討を行うこと自体は、その職務に照らして特に非難されるべきことではあるまい。
養子を「内外に示す儀式」とは
養子をめぐる新儀式が問題視されるとすれば、これまで皇族妃を迎えた場合に行われていた、皇族に新しく加わる上で当然に必要な礼儀にあたる一連の儀式とバランスを欠くような、過剰な演出めいた部分が付け加えられることだ。もしそのようなことがあれば、強い批判を免れない。
今回の報道では「宮内庁は民間から皇族妃を迎える『結婚の儀』などを参考に」とあった。このレベルなら問題はない。
しかし一方、「養子が皇族になったことを内外に示す新たな儀式」とも報じられている(共同通信、前出)。この「内外に示す」というのは、具体的にどのような儀式を想定しているのか。
これまでの「結婚の儀」「朝見の儀」などにはない。むしろ立皇嗣の礼(!)に見られた要素だ。この辺りは要注意だろう。
「皇族として生きることは、相当な覚悟が必要」
民間人が心情的・生命的な結合である婚姻を介さずに皇族になる、養子縁組のハードルの高さについて、男系論者からこんな声もある(新田均氏『別冊正論Extra14』平成23年[2011年])。
先に紹介した久邇朝宏氏は、旧宮家の当事者として、次のように述べていた(『女性自身』前出)。
……男系男子だからという単純な話ではありません。皇族として生きることは、相当な覚悟が必要なのです。
……そのような覚悟がある人が、一般国民として生きてきた旧宮家の子孫たちにいるのか、私には思い浮かびません」

