「風、薫る」の愛されキャラ、忠蔵
9月25日に最終回を迎えるNHK連続テレビ小説「風、薫る」(脚本・吉澤智子、原案・田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』)に登場する丸山忠蔵(若林時英)。出会いは、りん(見上愛)と直美(上坂樹里)が勤める帝都医大病院の外科に苔癬で入院し、直美が実習で受け持ったことだった。治療費の代わりに医学の研究と教育に協力する学用患者で、直美の看護により背中の痒みが改善、心を開いていく。
惚れっぽく、優しくしてくれたりんに告白して丁重に断られた展開もあった。また、退院後は行き場がなく、直美が住んでいた長屋に落ち着いた。団子屋「田之上屋」の見習いから店を譲り受け、まだ広まっていないコーヒーを出し、「蒸麺包パン」という新商品まで考え出す。
この人物のモチーフを、脚本の吉澤智子は公表している。新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵(1870〜1954年)である。愛蔵が入院中に大関和の看護を受けた史実をヒントにキャラクターを作ったこと、実際にはパン販売店を買い取る人物だがそのとおりには描いていないので、大山捨松(多部未華子)や清水卯三郎(坂東彌十郎)のように実名にはしていないと語っている(ステラnet、2026年6月3日)。
新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵
ドラマの忠蔵は長野の出で、両親がなく、兄が親代わりだという。ここは史実に沿っている。相馬愛蔵は明治3年(1870年)、信濃国安曇郡の白金村、のちの東穂高村(現・長野県安曇野市穂高)に生まれた。1歳にならないうちに父・安兵衛が、その5年後には母・ちうが世を去る。年の離れた兄に育てられ、子に恵まれなかった兄夫妻の養嗣子になった。
明治17年(1884年)、長野県中学校松本支校(現・長野県松本深志高校)に進む。同じ村から中学へ進んだのは、のちに教育者となる井口喜源治との2人だけだった。翌年には上級生の木下尚江と親交を結ぶ。のちに足尾銅山鉱毒事件や普通選挙運動で知られるジャーナリストで、交友は生涯続いた。
皮膚病で帝大病院に入院した
明治20年(1887年)に東京専門学校(現・早稲田大学)へ進むが、その入学前、愛蔵は疥癬にかかって帝国大学医科大学附属第一医院(現・東京大学医学部附属病院)に入院する。ヒゼンダニが皮膚に寄生する病で、夜も眠れないほどかゆい。治療に使う軟膏はひどく臭った。ほかの看護婦が嫌がるなか、和が一日に何度も塗布を引き受けている。和がこの病院で外科の看病婦取締、いまの看護師長になったのは明治21年(1888年)10月である。ドラマは病名を苔癬に変えているが、背中のかゆみを訴える患者と、薬をめぐって動く看護婦という組み合わせはそのままだ。忠蔵は入院のせいで仕事も下宿も学校も失うが、愛蔵にそれは起きていない。


